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    <title>実業剣道家による剣道のススメ・・・剣士諸君！</title>
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    <updated>2007-10-16T04:50:48Z</updated>
    <subtitle>日本伝統の武道「剣道」。剣の道を志す剣士諸君の交流と情報交換を目指して、福岡県在住の在津吾朗が「交剣知愛」を合言葉に運営するウェブサイト</subtitle>
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    <title>剣道の道具について</title>
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    <published>2007-10-16T04:27:43Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:48Z</updated>
    
    <summary>多くの人がご存知のように、剣道では、面・小手・胴・垂れ・稽古着・袴（はかま）・面...</summary>
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            <category term="剣道の道具" />
    
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        多くの人がご存知のように、剣道では、面・小手・胴・垂れ・稽古着・袴（はかま）・面下手ぬぐい・竹刀・木刀・鍔（つば）・鍔止め・模擬刀・刃引き刀などの道具を使います。

誠に恥ずかしい話ですが、私は30年以上も剣道に関わっておりながら、道具に関しての配慮が欠落しているという自覚があったのです。コンプレックスになりそうなほど・・・。

そこで、10年ほど前から竹刀の手入れを念入りにするようにしてみたり、稽古後の面や小手の手入れを始めてみたりしているのですが、これがまた中々思うように行かない。

自分が使用する道具の手入れひとつ満足にできないようでは話にならないなと思いつつも、道場での竹刀を振っての稽古にかまけて、道具について学ぶことがおろそかになってしまうのです。

ところが、昨年、長崎の武道具屋さんを紹介してもらう機会があって、さっそく出向いてみた所、これが素晴らしい出会いとなり、武道具について学ぶきっかけを与えてくれました。

防具ひとつひとつについて非常に熱心に聞かせてくれるご主人の話がとても面白いのです。

本当にありがたいことです・・・。

はじめてお店にお邪魔した際に竹刀を購入したのですが、この竹刀も非常に良い感じで気に入っています。

そこで、昨日長崎に出張をした折にさっそくお店に出かけて、今回は袴と小手をお願いしてきました。

私はこれまで防具がしっくりとフィットする感覚を味わったことがありません。
防具を新調することは、もちろん楽しみなことなのですが、実は七割方は不安を伴うストレスの原因だったりもしたのです。

防具を変えると、その防具がしっくり来るまでに、下手をすると半年くらいかかってしまうのです。
剣道の防具はそんなものだと思って諦めていました。

さて、この武道具屋さんでどんな竹刀や袴、小手を購入したのかについてのお話は、後日ゆっくり時間があるときに書くことにします。

今回は、こんな素晴らしい武道具屋さんを紹介してくれた松下剣連の小松原さんに
感謝感謝というお話でした(^ー^* )♪

このお話で、ようやく懸案だった最後のカテゴリー「剣道の道具」に記事が追加され、全てのカテゴリーに最低一つずつの記事がストックされました。

私的には目標のひとつが達成された記念すべき日となりました・・・♪
        
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    <title>六段不合格！</title>
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    <published>2007-08-26T11:10:02Z</published>
    <updated>2007-10-16T05:21:36Z</updated>
    
    <summary>本日六段昇段審査を受審してまいりました！ 結果は・・・不合格でした　(´･　･|...</summary>
    <author>
        <name>在津吾朗</name>
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            <category term="剣道の昇段審査" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kenshi-shokun.com/">
        本日六段昇段審査を受審してまいりました！

結果は・・・不合格でした　(´･　･|||)

全部で確か5パートあって、そのうちの3パートで受審しました。
午前中の前半15組が立ち合いを終えたところで一旦区切られて、そのグループの合格発表が行われました。

ひと組4人ですから1パートに60名いたことになります。

で、私の3パートの合格者は4名でした・・・。

ざっと計算してみたところ午前中前半の部は、全部で約300名の受審者に対して合格者30数名と言う感じでした。

審査が終わったところで数人の先生から講評を頂いたところでは、ひとり目は面と小手が決まっていたが、ふたり目は決め手がなかった。五分五分な感じだ・・・とのことでした。

また、他の方からは、ひとり目で面と小手が決まっていたが後打ちになっている印象があった。と言われました。

3パート合格者4名のひとりは私の組から出ました。

合格者と私のふたりと立ち合った方の話では、私との立合いでは面と小手を決められたと思ったが、合格された方との立ち合いでは一本も打たれなかった、確かに少しも下がらなかったし、こちらの攻めを封じてきたけれど、なぜその方が合格されたか不思議に思ったと言われていました。

で、自分的な所感としては・・・

気持ちの面では不思議なくらい落ち着いていて、良くも悪くも日頃の立ち合いどおりの内容を出せたと思います。その意味ではもっとあぁすればよかったとかこうすればよかったという後悔はなく、納得のいく結果でした。

ただ、残念だったのは、ここ数ヶ月全く不本意な剣道をしていたことです。


        <![CDATA[3月くらいから自分の剣道に不安を感じ始め、4月以降色々と取り組んできましたが、結局最後までその不安を払拭できる要素がないまま当日を迎えてしまいました。この漠然とした不安がそのまま結果につながったという印象でした。悪い予感が当たった感じです。

やはり、自分を信じることができない状態で合格できるわけがないですね。

また、改めて強く感じたのは、グループ60名中の4名という水準の合格枠に入るには、そのグループの中で余程光るものがないとだめだなと言うことです。

以前、ある先輩が7段に不合格になった直後に話されていた内容が思い起されました。


<quote>先輩の話をまとめると・・・
7段の審査では6段までに必要なことができるのは当たり前だ。先をとって機会を捉えて適切に打突するのは6段を持っていればできて当たり前だし、これができないなら、そもそも7段に挑戦する以前の問題で話にならない。
それらの要素をきちんと押さえた上で、その日受審しに来た人たちの中で特に光るものを示せなければ合格はできないと感じた。
</quate>

実際の審査会場を体験してみて、この話を思い出していました。

自分の前の立ち合いをずっと見学していたのですが、正直な印象としては、誰も彼も変わり映えしないということ。印象に残る人はほんの少ししかいないのです。みんな似たような立ち合いを展開していました。

この状況で考えられるのはふたつにひとつ。今日受審している人がほとんど合格するということか、それともほとんどの人が合格できないということか。

どちらだろう・・・まぁ後者だろうな。とすると、六段でも先輩の話と同じと言うことか･･･。どうすればこの人たちの中で光ることができるだろう。

そんなことを考えながら自分の番を待っていました。

で、いよいよ自分の立合いがやってきたのですが、先に書いたとおり驚くほど落ち着いていました。

まず立ち合いの途中でいくつか感じたことがありました。

<strong>ひとり目</strong>

蹲踞から立ち上がり、遠間の攻防の過程で掛け声をかけて、じりじりと触刃の間に入るところまではイメージどおり。そこから・・・

　・　思うように先が取れない
　・　打突の機会でない所で打って出てしまった
　・　出遅れたのに応じ技が出せず、まともに打って行ってしまった

確かに自分でも、攻めて面、攻めて小手と決めた感じがあって手ごたえもいくらかありました。

しかし正直な印象としては・・・

　・　打つべき機会でないところで散々竹刀を振ってしまった
　・　打って出てから出遅れていたことに気づいた場面があった
　・　出遅れたことを察して応じ技に切り替えるということが一切できなかった

これらの方が気になりました。

<strong>ふたり目</strong>

これも蹲踞から立ち上がり、遠間の攻防の過程で掛け声をかけて、じりじりと触刃の間に入るところまではイメージどおり。そこから・・・

　・　相手の動きに振り回されて場を支配できていない
　・　攻めあぐねた結果、機会でもないのに打って出てしまった
　・　余計な考えが頭をよぎり立ち合いに集中できなかった

触刃の間から相手が急に右に右に（私から見ると左に左に）ぐるぐる回り始めました。
これにつられて自分も回り始めてしまい、気がつくと審査員席を背にしていました。

そこで、はっとして一緒に回るのを止めようと考えた辺りからおかしくなって行きました。
その時点ですでに相手のペースで立合いが進んでしまっていました。
相手は合格には程遠い内容でしたが、そんな相手に主導権を握られた自分もかなりのお粗末さ加減でした。

今日の審査の合格基準で六段に合格しようと思えば、その日受審に来たどの剣士と組み合わされても、彼らのペースに惑わされることなく、相手の動きを封じながら先を取り、相手を厳しく攻めて場を支配し、打突する機会を作り出し、理にかなった有効打突を奪うことができる地力が必要だと思います。

仮に最後の有効打突を奪うところまでもって行けなかったとしても、相手の動きを封じて先を取り、相手を攻めて場を支配することは最低限必要だと感じました。
その上で攻め崩したところに打突する機会を見出し、自ら作り出したその機会に迷わずさっと打ちに出る姿勢を見せることができなければ話にならないと感じました。

ほとんどの受審者は（私も含めて）そんなことはできていませんでした。

立会いの「初め」の声で立ち上がると同時に掛け声をかけながら触刃の間までさっさと入って来る人、触刃の間でしばらく剣先をかちゃかちゃやったと思ったらこちらの竹刀を強引に払って打って来る人、無造作に近間まで入り込んできてから掛け声をかけてくる人、間合いも機会も一切無視して打突して来る人、意味もなくくるくる回る人・・・そんな色々な人を相手にしなければならない中で、それでもきちんと場を支配して先を取り、打突の機会では迷わず決断して打って出て、それ以外のところでは決して竹刀を振らないという判断と決断が適切にできなければ合格は難しいでしょう。

自分の日頃の稽古でこのような点に重点を置いて取り組んできたかと考えると、その取り組みの甘さを痛感しました。

これが今日一番の収穫です。

頭では難しい審査だとわかっているつもりでしたが、思っていた以上に厳しいなという印象です。

もっともっと自分に厳しく取り組んで行かないと、合格は遠いなと感じた次第です。

ここからが正念場と覚悟を決めて合格できるまで粘り強く取り組んで行こうと思います。

取り急ぎご報告まで。  
]]>
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    <title>「気」の働かせ方について</title>
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    <published>2007-03-02T12:03:16Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:50Z</updated>
    
    <summary>いよいよ今年は6段挑戦の年となります。 5段に昇段させていただいてから早くも5年...</summary>
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        <name>在津吾朗</name>
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            <category term="剣道の理法" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kenshi-shokun.com/">
        <![CDATA[いよいよ今年は6段挑戦の年となります。

5段に昇段させていただいてから早くも5年の月日が経とうとしている・・・。
「光陰矢のごとし」とはよく言ったものだと思います。

さて先日、これまで自分が残してきた記録をまとめて読み返していて、面白いことを発見しました。ちょうど昨年2月の中頃に下記のような記事を残していたようなのです。

<a href="http://www.kenshi-shokun.com/archives/2006/02/post_71.html" target="_blank">「間合」について</a>

その記事には、一昨年取り組んでいた課題である「足と腰で行う剣道～先を取る」がひと区切りつきそうな所で新たな壁にぶつかって悩んでいた私が、その壁を乗り越えるためのヒントになりそうな課題について、一時期に何人かの先生に同様の指摘を立て続けに受け、昨年のテーマを「間合を知ろう！」に決めたという件を書いています。

すると、大変興味深いことに、今年の同じ2月中頃、下記のような記事を書いていたのです。

<a href="http://www.kenshi-shokun.com/9matsu/archives/2007/02/210.html" target"_blank">2月10日の稽古会</a>

ここには、九州松下剣友会の稽古会で新しい課題を指摘されてありがたかったということが書かれています。

この「指摘」は、昨年の課題であった「間合を知ろう！」がある程度区切りがついた所で次の「目に見えない壁」にぶつかって悩んでいた私の意表をついて突きつけられたもので、言われたその場では何を言われたか実はよくわかりませんでした。
その晩よくよく考えてみても何を言われているのかわからなかったくらいで、翌日のむさし剣錬会朝稽古でもう一度その話について聞かせてくださいとお願いしたくらいのものでした。
ところが、この指摘を受けた直後に、別の先生から立て続けに全く同じ指摘を受けたのでした。

その後は、考えれば考えるほど、これこそ今の自分が直面している壁を乗り越えるために必要な課題そのものなのではないかという確信を持ちはじめ、とうとう今年のテーマを「気の働かせ方を学ぼう！」に決めたところだったのです。

そのお礼を下記の記事中の「追伸」に書いていたりしています。

<a href="http://www.kenshi-shokun.com/9matsu/archives/2007/02/post_19.html" target"_blank">ヤマハ剣道部ブログにリンクしました</a>

後から考えると、この流れは、まるで昨年の繰り返し・・・違うのは課題の中身だけでした。

不思議なものですね(*^_^*)「求めよ、さらば与えられん。」を体感した出来事でした。

さて、肝心の「気」の働かせ方について考えて見ましょう。

]]>
        指摘を受けた内容をまとめるとこういう感じでした。

　　・　自分が打とうと思うときにしか攻めていかない（攻めてこない）。
　　・　自分が打とうと思ったときにしか打っていかない（打ってこない）。
　　・　相手不在の剣道で自分勝手になっている。
　　・　「虚」と「実」のコントロールができていない。
　　・　心が「実」の時は強いが「虚」の時は赤子の手をひねるほどに造作もない。

「先」を取り「間合」を知り「一拍子」で打突する。
ようやくそのイメージが持てるような気になってきた矢先の文字通り「意表をつかれた」指摘でした。

あまりにもピンとこなかったため、その夜はあまり眠れませんでした(*^_^*)
なぜだぁ～！！！と悶々と考え続けて・・・そしてようやく思い当たりました。

相手の「気」を無視していると言うことか？「合気」になれていないということか？さらに言うと「気」にムラがあるということか！？
まとめると「気」を上手に働かすことができていないと言うことなのではないだろうか。
つまり、相手の「気」と無関係かつムラがあるから、そこにはたっぷり「油断」がある。つけいる「隙」がある。「虚」になる瞬間がある。

これは心の問題だ。そうとわかれば、次に考えるべきは、これを克服するにはどうすればよいかだ！というわけで、ここでようやくチャレンジャーの精神に戻ることができました。

そういうわけで今年は一念発起、新たな気持ちで次の段階を目指すことにいたします。

まずは「相手あっての剣道」いわゆる「合気」を体感できることから始めて、「気」を自由自在に働かせることを目指してみようと思います。
よくよく考えてみると、実はこれはかなり以前から色々な先生や先輩から指摘され、すでにどっぷり抱えていたテーマで、正直これまでは高度すぎて実感がもてないまま放置していたものでした。ですから、取り組むにはいい機会なのです！

相手の「気」とこちらの「気」のチューニング作業から初めて、きちんと周波数が合ったところで心のやり取りを行う。
何はともあれこの辺からの取り組みになると思います。相手の「気」を感じ取れない鈍感さ加減では話にならないでしょう。
そう考えていくと、今の自分がどれだけ無神経な剣道を展開しているかを認識して恥ずかしくなってき始めます。

とりあえず、一連の流れのイメージとしては・・・

場を支配すべく丹田で練った「気」を周囲に解き放つ。
相手の「気」を感じ取り、こちらの「気」との間にせめぎあいが起きるのを確認してから心のやり取りを始める。
相手の心を自分の心に写し取ることができるかどうか「不動心」の勝負。
上手・下手に関わらず「懸かる稽古」を旨として打太刀の気概で「機」を見てこちらから積極的に打ち間に入っていく。
打つために「打ち間」に入るのでなく、いつでも打てる準備ができたと感じたら、自ら進んで、ただ「打ち間」に入っていく。
そこで相手がどんな動きを起こそうとも「間髪容れず」に技を発動し相手の心の「虚」に向けて打突を放つ。
このようなイメージの状態から繰り出される「究極の一本」を目指して試行錯誤する。
例え一刀両断されても悔いは無いという「捨て身」の覚悟で「四戒」を払って迷い無く打って出る。
実際に打たれれば、そこは捨て所ではなかったことを教えられたも同然で、すかさず感謝する。
実際に打てれば、自分に至らぬところは本当に無かったかと、すかさず反省する。
立会いの間中、そんな「油断も隙も無い状態」に自分を保ち続ける。

イメージするところからはじめるしかないですから、まずはここからやってみようと思います。

テーマは「厳しい剣道」です。

ちなみに、自分は本当に「気」を十分に働かせることができるようになれるのか？
この問題に関しては人間の思考に関するひとつの仮説があります。

****************************************************************

そうできるようになれると思えばそうなれるし、

そうできるようになれないと思えばそうなれない。

いずれにせよ、なんにせよ、思ったとおりになる。

****************************************************************

私は経験上これは限りなく真理に近いものではないかと考えて信じて活用していますので、今回もこの「理」でまい進します。

『為せば成る　為さねば成らぬ　なにごとも　成らぬは人の為さぬなりけり』

の精神でがんばります(*^_^*)

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    <title>東京都杉並区　大義塾の思い出</title>
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    <published>2007-01-12T12:09:35Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:50Z</updated>
    
    <summary> 東京都杉並区荻窪に「大義塾」はあります。 これは、その「大義塾」で頂いた想い出...</summary>
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        <name>在津吾朗</name>
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            <category term="剣道の手ぬぐい" />
            <category term="剣道の道場" />
    
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        <![CDATA[<a href="http://www.kenshi-shokun.com/gordy/img/taigi.jpg"><img alt="taigi.jpg" src="http://www.kenshi-shokun.com/gordy/img/taigi-thumb.jpg" width="450" height="167" /></a>

東京都杉並区荻窪に「大義塾」はあります。
これは、その「大義塾」で頂いた想い出の手ぬぐいです。

1988年春、私は慶応義塾大学に進学するために上京しました。
鹿児島での3年間の高校生活と福岡での1年間の浪人生活を経て、なんとかようやく大学生になることができた年でした。
東京の事情がよく分からなかった私は、知り合いが「高円寺や荻窪と言うところが住みよいらしいよ。」というのを聞いて、その話だけを頼りに、ひとり上京してＪＲ高円寺駅前の最初に目に入った不動産屋に飛び込みました。
何件かマンションやアパートを見て回ると、荻窪の本天沼というところに、家賃38,000円という破格のアパートをみつけ、そこを借りることに決めたのです。
間取りは4畳半二間、木造2階建ての2階の奥の部屋で、お風呂はありませんでした。
とてもいい感じのアパートでした。
近くに銭湯があったので、部屋にお風呂がないことはあまり気になりませんでした。

]]>
        周りに知人がいない環境での初めてのひとり暮らしのスタートでした。
大学2年生までは渋谷から東急東横線に乗って日吉に通うことになるのですが、まさか自分が通う大学が、どちらかというと横浜に近い場所だなんて（よく調べればわかったでしょうが）思いもよりませんでした。慶応は東京の大学だと思い込んでいたのです。
日吉と渋谷と新宿と荻窪の位置関係なんて頭に入っていませんでした(^_^;)

ひとり暮らしの始まりは、毎日片道1時間半かけて通学するまじめな大学生生活の始まりでもありました。
何もかもが新しくなった生活にようやく慣れ始めた1年生の終わり頃、ひょんなことから大義塾の存在を知ることになったのです。
この出会いが、高校を卒業して2年近くもブランクが空いてしまった剣道を再開するきっかけになりました。あの時大義塾と出会っていなかったら、私はあそこで剣道をやめていたに違いないのです。

また、後で知ったことですが、アパートの近所には何箇所か剣道の稽古会があったようです。
そんな中で、他の稽古会でなく、大義塾という道場と縁を持てたことが、今日の私にとってどれだけ大きい意味を持つか、当時はあまりよく分かっていませんでした。
大学では体育会剣道部に入部しなかった私が、ほとんど4年間お世話になった大義塾。
まるで家族のように接してくださった中村のママとのりこ先生には今でも感謝して感謝しすぎることはありません。

そんな私も1992年の春の大学卒業と共に就職で福岡に帰ることになりました。
その際に、先生が「持って帰りなさい」と沢山渡してくださったのがこの手ぬぐいです。

1991年の春までは、東京で就職してずっと大義塾にお世話になるつもりでいたのです。
それが、ふとしたきっかけで、郷里福岡での就職とになり、大義塾ともお別れとなりました。

その後、福岡に戻ってしばらくは、あまりの仕事の忙しさに剣道から遠ざかってしまいましたが、1995年夏に会社の仲間と稽古会をスタートさせてからは、稽古の際に大切に使わせて頂きました。そしてあれから丸15年を迎えようとしています。

社会人になってからの私の剣道と共にあった「大義塾の手ぬぐい」も最後の一枚です。
この最後の手ぬぐいがぼろぼろになるころ、新しい手ぬぐいを頂きに大義塾に戻れたらいいなと漠然と考えていたのがにわかに現実味を帯び始めています。

私に剣道を続けさせてくれた大義塾のみなさんと、こんな風に私の人生を支えてくれる剣道に入門することを勧めてくれた両親に、今更ながら心のそこから感謝する今日この頃です。

今年こそは、大義塾にカムバックするぞ！！(*^_^*)
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    <title>『腰と丹田で行う剣道』　島津書房</title>
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    <published>2006-11-10T08:04:06Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:50Z</updated>
    
    <summary>腰と丹田で行う剣道posted with amazlet on 06.11.10...</summary>
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        <name>在津吾朗</name>
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            <category term="剣道の本" />
    
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        <![CDATA[<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;"><div class="amazlet-image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4882181029/56chnetwork-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/icons/books/comingsoon_books.gif" alt="腰と丹田で行う剣道" style="border: none;" alt="no image" /></a></div><div class="amazlet-info" style="float:left;margin-left:15px;line-height:120%"><div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4882181029/56chnetwork-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">腰と丹田で行う剣道</a><div class="amazlet-powered-date" style="font-size:7pt;margin-top:5px;font-family:verdana;line-height:120%">posted with <a href="http://www.amazlet.com/browse/ASIN/4882181029/56chnetwork-22" title="腰と丹田で行う剣道" target="_blank">amazlet</a> on 06.11.10</div></div><div class="amazlet-detail">森田 文十郎 <br />島津書房 <br />売り上げランキング: 391750<br /></div><div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4882181029/56chnetwork-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div></div><div class="amazlet-footer" style="clear: left"></div></div>

<hr>

この本をまだ読んでいない方は、ぜひ読んでみることをお勧めします。
私は、ちょうど「次のステージ」に進むためには、何をどうすればよいのかと悩みに悩んでいた2005年の今頃の時期にこの本と出会いました。以来、ほぼ2年かけて、この本に書かれている理法を実践する努力を続けてきました。そして、今強く感じているのは、森田文十郎先生の洞察力がいかに素晴らしいものであったかと言うことです。

どれほどの刺激を受けたかと言えば、この本に書かれた内容に感動し、触発されて、剣の完全操作法の実践について思ったことを<a href="http://www.kenshi-shokun.com/archives/2005/05/post_40.html" target="_blank">「打突のメカニズム」</a>というタイトルで記事にして、そこに書いたことを、これまで2年近く忠実に実践してきたほどです。

この本に出会うまで、私は自分の打突を気剣体一致の水準に引き上げ、更に一拍子にするために、手の内の矯正、手首の動きの訓練、左こぶしの位置の矯正、重心を安定すること、ひかがみを軽く伸ばすこと、左足のかかとを上げすぎないこと、左こぶしの始動と右足の始動とのバランスをとること、出足を強化すること、竹刀の振り方の工夫、踏み込みと打突の瞬間の一致、打ち抜けること、残心で気を抜かないこと・・・などなどと、ひとつひとつ自分の矯正ポイントを意識しながら取り組んでいました。

ところが、ひとつ意識すると他がお留守、そこを意識すると別のところがお留守と、どこかに意識が行く度に他の何かが意識から外れてしまうという苦悩にさいなまれていたのです。

それが、この本に書かれている剣の完全操作に関する洞察に出会ったことで氷解してしまいました。
なすべきことは全て「一連の動作」の一部である。というのがポイントです。自然の流れに従うのです。

これまで沢山の複雑な動きの総合としてイメージしていた一拍子の打突が、この本を読むことで、全く違ったイメージに置き換えられました。まさに革命的な瞬間を味わった一冊です。

鍛錬された呼吸法によって丹田に蓄えられた気のエネルギーが源泉になるのは言うまでもありませんが、その丹田に蓄積した気を更にひかがみを通して左足のかかとにまで充満させます。
こうして十分に気が満ちた状態でスタンバイした左足の湧泉辺りを踏むことを初動にして、後は体の物理的なメカニズムに順次気を伝えて行き、順番に動かしていくことで、最終的に無理なく一拍子の打突に結実させて、当然の帰結として十分な残心につなげつつ、次の動きへのエネルギーをためたままの形で完結する。そんな一連の動きをシームレスに、いわゆる「一拍子で」行う。そうすることで、そこには澱みも滞りもなくなり、一瞬の機を捉えて意を決した一直線のエネルギーが満ちた「捨てた」打突となる。

この本と出会えたおかげで、私はささやかな階段をひとつ上がることができたと自信を持って言うことができます。この本から得られることを思えばこの価格は決して高くはありません。

剣の理法を求めるならば、一拍子の打突の実践を支える理合いとして、これ以上のものはないと私は確信しています。ぜひこの本は読まれてください！]]>
        
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    <title>『剣道の法則』　体育とスポーツ出版社</title>
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    <published>2006-10-19T05:54:58Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:50Z</updated>
    
    <summary>剣道の法則posted with amazlet on 06.10.19堀篭 敬...</summary>
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        <name>在津吾朗</name>
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            <category term="剣道の手ぬぐい" />
            <category term="剣道の本" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kenshi-shokun.com/">
        <![CDATA[<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;"><div class="amazlet-image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488458001X/56chnetwork-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/488458001X.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="剣道の法則" style="border: none;" /></a></div><div class="amazlet-info" style="float:left;margin-left:15px;line-height:120%"><div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488458001X/56chnetwork-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">剣道の法則</a><div class="amazlet-powered-date" style="font-size:7pt;margin-top:5px;font-family:verdana;line-height:120%">posted with <a href="http://www.amazlet.com/browse/ASIN/488458001X/56chnetwork-22" title="剣道の法則" target="_blank">amazlet</a> on 06.10.19</div></div><div class="amazlet-detail">堀篭 敬蔵 <br />体育とスポーツ出版社 <br />売り上げランキング: 279,665<br /></div><div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488458001X/56chnetwork-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div></div><div class="amazlet-footer" style="clear: left"></div></div>

以下は九州松下剣友会で日ごろからお世話になっている宮城県出身の佐野さんに頂いた堀篭範士の書が入った手ぬぐいです。

<a href="http://www.kenshi-shokun.com/archives/img/tenugi_horigome.jpg"><img alt="tenugi_horigome.jpg" src="http://www.kenshi-shokun.com/archives/img/tenugi_horigome-thumb.jpg" width="450" height="154" /></a>

<hr>

この本は、その佐野さんの師匠である堀篭敬蔵剣道範士九段の著書です。

2003年に佐野さんから剣友会のメンバーに向けて、この本をすすめる旨のメールが発信された際に私も購入して読ませていただきました。
当時ちょうど、「剣道においては事理一致の修行が大切だ」との考えに触れる機会が増えていた私にとって、では剣の理法について学ぶには具体的にどうしたらよいのかということは切実な問題でした。
これと言ったよい方法も見えず、もんもんと悩んでいた時期でした。
ですので、この本との出会いは、まさに「渡りに舟」に感じたことを覚えています。

本の中で堀篭範士も触れられていますが、現代では剣道の専門家でない限り、剣の「理」を専門書から学ぶ機会はなく、かといって口伝してくれる師匠にめぐり合うこともかなわず、剣の理法を習得することが非常に難しくなってきています。
「剣道の法則」と銘打って、奥深い剣の哲理に関する多くのエッセンスを、誰もが理解しやすい平易な文体でつまびらかにしてくれているこの本は、そんな現代の剣道事情において貴重かつ必読の一冊であることに疑いの余地がないでしょう。

自分の技量に応じた剣の哲理を身に付けたいと願う剣士や、昇段審査の際の学科試験のあり方に疑問を感じる剣士にとっては、本当に参考になる一冊であると思います。

工夫のない稽古から得られるものが少ないことに気づく剣士が少ないことは悲しい事実ですが、幸運にもそのことに気づいたとして、実際に工夫をしようと試みた時に、工夫の取っ掛かりそのものが得られず苦しむ羽目に陥る剣士が多いのもまた事実のようです。私が実際それでした。

この本を通じて、道場の外で剣の理法を研究し、そこで得られた自分なりの理解を、今度は日々の道場での稽古における「事」の修行の中で試すことができる。

私の稽古の質はこの本との出会いで画期的に向上しました。
この本に著されている内容を礎にして日々の稽古でたゆまず工夫するならば大いなる収穫が得られること請け合いでしょう。

著書の中に以下のような一文があります。

--------------------------------------------------------------------------

剣道の修行を通して人間としての道を学ぶ。人間の道とは何かと言えば「当たり前のことを当たり前にする。」ことである。これは「言うは易く行なうは難し」ことではあるが、人間としてもっとも大切なことである。

--------------------------------------------------------------------------

かつて剣術修行者にとって当たり前であったことの中には、現代ではすでに当たり前でないことも沢山あるでしょう。「確かな師匠を得にくいこと」がその典型的なひとつであると思います。
目の前に正師を置いて日々の修行に取り組めるのであればこのような書物は不要かもしれません。
が、そうでないならばこの本を座右に置いて、この本を師匠と思い、そこに述べられている一字一句を咀嚼して稽古すると良いと思います。ぜひお試しください。]]>
        
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    <title>「剣士諸君！」への想い</title>
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    <published>2006-10-18T04:46:58Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:50Z</updated>
    
    <summary>私は福岡県太宰府市の出身です。 小学2年生の頃に竹刀を握ってから紆余曲折を経て、...</summary>
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            <category term="剣道に思う" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kenshi-shokun.com/">
        私は福岡県太宰府市の出身です。
小学2年生の頃に竹刀を握ってから紆余曲折を経て、現在剣道八段範士を目指して剣道修行しています。
このように書くとどれほどの腕前なんだろうと思われるかもしれませんが、平成18年10月時点で38歳、剣道五段です。経験者であればすぐにわかることですが、この年齢でこの段位であると言うことは、いたって凡庸な剣士である証です。同世代の秀でた仲間たちはすでに七段を視野に入れています。
このサイトの記事は、もしかしたら剣道の腕に覚えのある先生方の失笑を買うかもしれません。けれど、敢えて私は「剣道八段範士を目指している」と公言しています。なぜならば、剣道に限らず、一度きりの人生を行きぬく上でもっとも大切なことは、何かを目指して行動をおこすこと、真剣に取り組むこと、そして最後の最後まであきらめずやりぬくことだと思うからです。

        <![CDATA[現在の私の願いは、剣道と実学の「文武両道の精神」を通じて、次の世代の日本ひいては国際社会をリードできる人づくりを実践する活動に取り組むことができる立場の人間になることです。そのために私は実業を極めると同時に剣道を極めたい。そしてこのすばらしい剣道の文化的エッセンスと、「世のため人のため」を実践する実業の経済的エッセンスとをベースにした「文武両道の精神」を醸成し、それを余すところなく次の世代に伝えたい。
剣道は本当にすばらしい日本の伝統文化だと思います。明日の世界を支える一人でも多くの方々に、日本の伝統文化としての剣道の世界に触れて欲しいと思います。<br/>そのためには、まず率先して自ら剣の道に取り組み、剣の道を歩み、最高峰を目指し、その道程をありのままに記録して行くことだと考えました。
そもそもは、剣道四段を目指していた1998年2月に、中々昇段できない苦しみに直面したことが発端になって、自分の剣道の記録をつけるようになったことが始まりでした。当時は強くなりたいという単純な願いだけで剣道に取り組んでいました。
当時のノートに書かれている内容は、読み返すとどれも顔から火が出そうなほど幼稚で恥ずかしいものばかりでした。わかった気になって書いているもの、不遜な態度が表れているもの、意味を取り違えているものなどなど・・・。ですが、同時に誰もがはじめから全てをわかっているわけではないこと、真剣に取り組んでいれば後々気づくこともあること、試行錯誤の先にだけ光明が見出されるのだと言うこともまた、そのノートから感じ取ることができました。
これこそが「道」である所以のような気がして、今後も、あえてその時その時に考えたこと思ったことをありのままに記録しようと決意したのがきっかけです。<br/>最近記述した内容も、後から読み返せば恥ずかしく思えるかもしれません。逆にそうなければならないとも思います。私の成長の度合いによっては、いつまでたっても稚拙な考えのまま進歩がないかもしれません。そのことの方が恐ろしかったりするのです。全ては自分次第。
最終的に剣道範士になれるかどうか自体、実はそれほど大きな問題ではないと考えてもいるのです。「剣道八段範士」」は、現在の剣道界で目指して到達できる最高峰です。私のような凡庸な剣士が「生涯剣道」に取り組むということは、生涯たどり着けるあてのない「剣道八段範士」を目指して修行を続けることを意味するのだと考えていますし、それが自然なことだと思います。たどり着けるかどうかではなく、目指しているかどうかが問題だと思うのです。<br/>遠くにそびえる最高峰に向かって一歩一歩悩みながら、迷いながら、苦しみながら進んで行くその時その時に、いったいどんなことを考え、どんなことを感じ、どんな取り組みをしたのか。それらをありのままに記録すること自体に意味があるような気がしているのです。とはいえ、人がひとりでなしうるものなど本当にちっぽけなものです。できればここに書かれた内容に対するみなさんの忌憚ないご意見などをお聞かせいただければ幸いです。]]>
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    <title>二日市八幡宮奉納少年剣道大会</title>
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    <published>2006-09-25T11:14:09Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:50Z</updated>
    
    <summary>2006年9月24日（日）、筑紫野市二日市の二日市八幡宮境内にて、今年も少年剣道...</summary>
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            <category term="剣道の少年指導" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kenshi-shokun.com/">
        <![CDATA[2006年9月24日（日）、筑紫野市二日市の二日市八幡宮境内にて、今年も少年剣道大会が開催されました。

太宰府心聖会も、小学生団体戦、中学生団体戦、女子団体戦、個人戦にそれぞれ出場。
それぞれが日ごろの稽古の成果を遺憾なく発揮すべく熱戦を繰り広げました。

審判の先生方も選手たちも炎天下の試合で大変そうでした(>_<)
昔はこのような境内での野外試合が沢山あったような気がします。
剣道にもアウトドアな側面があることを再認識した一日でした。

鹿児島での高校時代に、<a href="http://www.city.hioki.kagoshima.jp/ijuin/event/myo/myo.html" target="_blank">伊集院町の妙円寺詣り</a>での剣道大会に参加していましたが、これが徳重神社の境内で開催されていたことを懐かしく思い出したりしました。試合の後に食べた伊集院饅頭、おいしかったなぁ。

戦績のほうでは、太宰府心聖会の小学生団体チームが5試合を戦い抜き、見事準優勝を果たしました。
決勝戦で山口剣友会に敗れたものの、はるだ剣友会、春日栄心館などの強豪を僅差で破りながらの決勝進出は見事でした。試合結果もさることながら、当てっこの剣道ではなく、前に前に攻めて出て、相手の起こりに思い切って打ち込む、少年らしい豪快な剣道を展開してくれたことが何よりもうれしく感じました。

日下部圭太君、在津虎次郎君、和田遼平君、横尾圭一郎君、長吉春香さん、本当にお疲れ様でした。そしておめでとう！]]>
        
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    <title>平成18年度太宰府市剣道祭</title>
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    <published>2006-09-04T16:44:20Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:50Z</updated>
    
    <summary>9月3日（日）、太宰府市剣道祭で宝満杯争奪少年剣道大会の審判を務めさせていただき...</summary>
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        <name>在津吾朗</name>
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            <category term="剣道の少年指導" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kenshi-shokun.com/">
        9月3日（日）、太宰府市剣道祭で宝満杯争奪少年剣道大会の審判を務めさせていただきました。

団体戦と級別の個人戦が行われ、大いに盛り上がりました。
審判員のみなさん、本当にお疲れ様でした。

大谷さん、ホームページを時々見てくれているとのこと、ありがとうございます！
たまにはコメントしてくださいね(*^_^*)

さて、剣道の試合で審判をしていて難しいなと感じることが色々とあるのですが、最近の悩みで一番深いのは「引き胴」の判断です。


        これは一般の大会でも同じなのですが、「引き胴」をよく取る審判と全く取らない審判がいるように感じたり、引き胴を積極的に取る大会と全く取らない大会があるように感じたりするのです・・・。

一度の試合や一度の大会を通じて、一本になる引き胴と一本にならない引き胴があって、旗があがったりあがらなかったりするという感じではないような気がして・・・。いや、もちろん気のせいかもしれません。

剣道の審判規則に定義されている「有効打突」を基準に採択するというのであれば、いつも安定した「引き胴の採択基準」のようなものがイメージできそうなものですが、このイメージを持つのが難しい。

特に少年剣道の大会では一般の大会以上に頻繁に引き胴が繰り出されるため、一本一本「どうかな、どうかな」と見ているのですが、やはり難しい。

先生方が審判をされているのを見取り稽古させてもらうのですが、やはり難しい。

試合では、意図的かつ積極的に引き胴を打ってみるのですが、これが全く有効打突として認めてもらえないので、なお難しくなってしまいます(T_T)

以前は応じ返し胴で同じような感覚があったのですが、これについては自分で有効打突にできるようになって解消しました。引き胴もきっと同じように自分で有効打突を決めることができるようになれば自信を持って審判をできるようになるのではないかと思うのですが。

というか、大人の試合では引き胴が決まっている場面をあまり見かけないような・・・。
そのため参考にできる一本が少ないのも現状です。

「自分で決めることができないのに自信を持って判定するのは難しいよなぁ」と思いながら取り組んでいます。
こんなことでは悪くすると審判する資格がないですね(^_^;)
早く解決しなければと思うとあせる気持ちも出てきてしまいます。

参考になるような文献がないかと探してみてはいるのですが、これも見つからない状況で、悩みは深まりもんもんとするばかり。

どこかにヒントはないものか、もんもんと探し続ける在津でした。
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    <title>小川忠太郎先生辞世の句</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.kenshi-shokun.com/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=1/entry_id=126" title="小川忠太郎先生辞世の句" />
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    <published>2006-08-21T09:08:39Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:50Z</updated>
    
    <summary> この書は、東京時代に大変お世話になった杉並の大義塾で、（奇しくも私が大義塾を去...</summary>
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            <category term="剣道に思う" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kenshi-shokun.com/">
        <![CDATA[<a href="http://www.kenshi-shokun.com/img/wagamuneni_mini.gif"><img alt="wagamuneni_mini.gif" src="http://www.kenshi-shokun.com/img/wagamuneni_mini-thumb.gif" width="300" height="213" /></a>

この書は、東京時代に大変お世話になった杉並の大義塾で、（奇しくも私が大義塾を去ることとなった年でもある）平成4年のはじめに先生から頂いた、小川忠太郎先生（剣道範士九段）の辞世の句の写しです。
小川先生は大義塾の故中村太郎先生の師でもあられた方です。
あれから14年の歳月が流れましたが、私は今でもこの書のコピーを書斎机に飾って大切にしています。
剣道から学んだ中で、私にとって一番大切な「平常心」という言葉について、片時も忘れることが無い様にという思いをこめて・・・。
このような書に出会えたことに、またこの書の写しを私に下さった大義塾との出会いに、私は今でも大変感謝をしています。縁と言うのは誠にありがたいものです。]]>
        
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    <title>『宮崎正裕の剣道』　スキージャーナル社</title>
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    <id>tag:www.kenshi-shokun.com,2006://1.113</id>
    
    <published>2006-06-23T04:41:31Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:51Z</updated>
    
    <summary> 宮崎正裕の剣道posted with amazlet on 06.06.23月...</summary>
    <author>
        <name>在津吾朗</name>
        <uri>http://www.mightygordon.com</uri>
    </author>
            <category term="剣道の本" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kenshi-shokun.com/">
        <![CDATA[<br />
<div class="amazlet-box" style="margin-bottom:0px;margin-left:20px;"><div class="amazlet-image" style="float:left;"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4789920852/56chnetwork-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4789920852.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="宮崎正裕の剣道" style="border: none;" /></a></div><div class="amazlet-info" style="float:left;margin-left:15px;line-height:120%"><div class="amazlet-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4789920852/56chnetwork-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">宮崎正裕の剣道</a><div class="amazlet-powered-date" style="font-size:7pt;margin-top:5px;font-family:verdana;line-height:120%">posted with <a href="http://www.amazlet.com/browse/ASIN/4789920852/56chnetwork-22" title="宮崎正裕の剣道" target="_blank">amazlet</a> on 06.06.23</div></div><div class="amazlet-detail">月刊『剣道日本』編集部 <br />スキージャーナル (2003/09)<br />売り上げランキング: 22,474<br /></div><div class="amazlet-review" style="margin-top:10px; margin-bottom:10px"><div class="amazlet-review-average" style="margin-bottom:5px">おすすめ度の平均: <img src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/x-locale/common/customer-reviews/stars-4-5.gif" alt="4.33" /></div><img src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/x-locale/common/customer-reviews/stars-4-0.gif" alt="4" /> 宮崎流の「竹刀」で勝つ剣道<br /><img src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/x-locale/common/customer-reviews/stars-5-0.gif" alt="5" /> 悩める有段者へ<br /><img src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/x-locale/common/customer-reviews/stars-4-0.gif" alt="4" /> 基本を見直せます<br /></div><div class="amazlet-link" style="margin-top: 5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4789920852/56chnetwork-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div></div><div class="amazlet-footer" style="clear: left"></div></div>

<hr>

平成2年11月3日日本武道館　私は生まれて初めて剣道全日本選手権に出かけました。
その年の覇者が宮崎正裕（当時）6段でした。それは、彼が始めて賜杯を手にした年でした。

翌年には、当時お世話になっていた杉並大義塾道場の故中村太郎先生、現在三田剣友会でお世話になっている戸田忠男先生、現在一橋大学剣道部師範の千葉仁先生、若くして中国大陸での列車事故でお亡くなりになった高知の川添哲夫先生に続いて5人目となる2度目の賜杯を、それまで誰もなしえなかった「連覇」という最高の形で手にしました。

その後も平成5・8・10・11年に、2度の連覇を含めて6度の大会制覇という前人未到の大記録を打ち立てた宮崎正裕氏は、まさに平成を代表する最強剣士です。

この言わずと知れた平成最強剣士、宮崎正裕教士7段の著書が「宮崎正裕の剣道」です。

このように紹介すると、数多くの大会で勝利してきた著者の作品だけに、試合に勝ちたい人におススメ！と言いたくなるところですが、実際は違います。

剣道の稽古に取り組む際の理業両面でのポイントが驚くほど丁寧に解説されています。

輝かしい実績を残し続けてきた剣士だけに、技術解説部分が充実しているのはもちろんですが、理論に走りすぎることなく、かといって単に実践を強調するだけでもなく・・・その両面からバランスの取れたアプローチをすることで、剣道稽古の要諦に関する解説を試みているという印象です。

非常に読みやすいのも特長でしょう。

現在進行形で剣道に取り組んでいる全ての人が一読されることを期待して止まない奥の深い一冊です。
宮崎先生が、輝かしい実績の裏で、その実績相応の深い剣道研究に取り組まれていたことを想像させる一冊です。

特に幼少年の剣道指導に当たっている中堅剣士の皆さんは、この本を座右において、指導する幼少年と共に、改めて基本部分から創意工夫の稽古に取り組まれることで師弟同業を実践されることをおススメします。あの持田盛二範士でさえ、基本の習得に50年掛かったといわれるほど剣道の基本は奥深いものですので、手抜かりなく取り組みましょう。

研究をベースに自分なりの工夫を試みる。
そんな姿勢の大切さを学ぶことができるような気がします。
生涯剣道修行という考えの指導的立場の方には特にお勧めの一冊です。]]>
        
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    <title>「剣道」とは一体なんであるか？</title>
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    <published>2006-06-22T09:37:42Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:51Z</updated>
    
    <summary>「武道」とは、「武術」の修練を通じて人間形成を行う道のことである。 「武道」の中...</summary>
    <author>
        <name>在津吾朗</name>
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    </author>
            <category term="剣道に思う" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kenshi-shokun.com/">
        <![CDATA[「武道」とは、「武術」の修練を通じて人間形成を行う道のことである。
「武道」の中でも、「剣術」の修練を通じて人間形成を行う道のことを「剣道」という。

全日本剣道連盟では下記のように言っている。

<font color=red><b>剣道の理念</b></font>

　　剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である

<font color=red><b>剣道修錬の心構え</b></font>

　　剣道を正しく真剣に学び
　　心身を錬磨して　旺盛なる気力を養い
　　剣道の特性を通じて
　　礼節をとうとび　信義を重んじ
　　誠を尽くして　常に自己の修養に努め
　　以って　国家社会を愛して
　　広く人類の平和繁栄に　寄与せんとするものである 

（財）全日本剣道連盟　昭和50年3月20日制定 

「剣の理法の修練」とは平たく言えば「剣術修行」のことだろうと思う。
であれば「剣道」が「剣術修行」によって形成を目指す人間像とは、

　　<font color=blue><b>礼節をとうとび、信義を重んじ、誠を尽くして、常に自己の修養に努め
　　以って　国家社会を愛して、広く人類の平和繁栄に寄与せんとする人間</b></font> 

ということになるだろう。

つまり、「剣道」に取り組むということは、ほとんど自動的に、このような「人間像の確立」を目指した自己研鑽の努力を伴う取り組みを意味するはずである。

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        全剣連の示唆するところでは、そんな「剣術修行」を通じた人間形成を行うにあたって

「正しく真剣に学ぶことで心身を錬磨して旺盛なる気力を養う」姿勢が必要であると言う。

「心身を練磨して旺盛なる気力を養う」こと自体は、「剣の理法の修練」を通じなくとも、他にいくつも手段が考えられる。

そうした数ある手段のひとつとして「剣術」を選び、それを「正しく、真剣に学ぶ」ことによって人間形成を図る場合、これを「剣道」と呼ぶというのである。

手段として「柔術」を通じて行えば「柔道」となり、「合気術」を通じて行えば「合気道」ということになる。「野球」を通じて行うならば「野球道」もありうるだろう。

もしも、「剣の理法」である「剣術」を「正しく、真剣に学ぶ」過程を通じて、目指す人間像に近づくために、心身の練磨を行い、旺盛なる気力を養うことに取り組むことをしないとすれば、それはその時点で既に「剣道」ではないと言えるだろう。「剣術」を「正しく、真剣に学ぶ」だけでは足りない。

「正しく、真剣に学ぶ」と言う部分を考えてみると、そもそも「正しく」学ぶには、学ぶ者を「正しく」導くことができる師の存在が不可欠である。

多くの文献によれば、剣道では昔から、「正師の下に学ぶ」と言う点が非常に重要視されてきたし、現代の剣道修行でもっとも難しい問題となっているのもこの点である。

この問題を解決できる可能性はあるのだろうか。

そのヒントのひとつは、歴史上類を見ない情報化社会の実現という環境の中にあるだろう。

かつて「正しく」学ぶ唯一の方法は「口伝」であった。でなければ原始的な書き物であった。
書き物に記すと秘密が漏れるため、それを恐れて隠喩・省略などが多く用いられ、核心の部分はやはり口伝に頼られてきた。口伝を受けるには物理的に近づくことが必要であったが、今日では物理的な距離を越えて口伝を行うことも可能である。
情報はデジタル化され瞬時に地球上を飛び回り、いくらでもその情報について議論を交わし、ブラッシュアップし、人知を結集することができる。
先人たちが残した情報をかつて考えられない規模で共有することもできる。
しかし、このことが、「正師につかずとも正しく学ぶ」ことができる可能性を示唆しているとしても、現実はそれほど簡単ではない。身近に正師を持つことができるものは幸せである。

一方「真剣に」学ぶことについて考えてみると、「剣術」「剣道」の根底にある「日本刀」の歴史を紐解くまでもなく、「剣道」が「剣術」に先んじて存在したはずがないことは疑う余地がない。

つまり、はじめは「剣術」だけがあったと考えるのが自然だろう。
自分の身を守り、大切なものを守り、欲望を満たし、生きる。
そうした生命維持活動の手段として「剣（日本刀）」という武器が作られ、その操作法として「剣術」が編み出された。

「剣」は言うまでもなく武器だから、それが使われる場所は包丁とは違って、厨房ではなく戦場だ。

戦いがある所に武器が生み出され、武器がある所に戦いが引き寄せられ、戦いは果てることがなかった。そのように戦いのないことが稀であった時代には、「剣」を使いこなすことができるか否かということは生命維持に直結する大問題であったろう。
人の命を奪う「剣」を手にして、守るべきもののために他人の命を奪う。
そのような野蛮な活動の中に「剣術」が生まれ育ったはずである。

敗北は死を意味することから、「剣術」はすべからく必殺剣術でなくてはならなかったはずである。

このような死と向かい合わせの日常においては、いわゆる「真剣」などという言葉で表現される心理状態は日常茶飯であったろう。
そもそもそこには「人間形成」などといった悠長な目的が存在できる余地などあったはずがないのである。

ところが、時が流れ、時代が変わり、人が人間性を獲得していく過程の中で、徐々に戦いの場を失うにつれて「真剣」という心理状態は日常的なものではなくなった。
「真剣」に「剣術」に取り組む理由が薄れていく。「真剣」という心理状態になる理由がなくなっていく。

このように「剣術」の存在自体が消滅の危機にさらされた時に「剣道」の胎動が起きた。

現代につながるヒトの歴史は主に戦いの歴史であると言われるが、大局的に見れば戦いを回避する知恵を蓄積してきたと言えるだろう。20世紀中ごろまでの世界の歴史に比べれば、21世紀を迎えた今日の世界では「戦い」自体が激減していると言って差し支えないと思う。

このように近代から現代へと流れる時間の中で、「戦場」という活躍の場を徐々になくした武器のひとつが「剣」であったが、実際、江戸時代後半を待たずに、既に活躍の場など無いに等しい状態だった。数百年という時間をかけてゆっくりとゆっくりと「剣術」は形骸化し続けていった。

すこぶる野蛮な存在をルーツとする「剣術」が、江戸時代後半には「真剣」味と言う要素を失って形骸化していた。その後、明治の廃刀令で決定的に消滅の危機に瀕した「剣術」は、更に近代から現代にかけて激しい冬の時代を何度も迎えるが、その度に心ある者たちの働きによって奇跡的に生き残りの道をたどった。結果として「剣道」という「野蛮なものから生み出されながらも高度に文化的な存在」として現代に生き残ったと言えると思う。

そういう意味で、「剣道」は人間の原始的な欲求の部分から生み出された「剣術」を出発点としながら、途中、人間の知的活動の洗礼を様々な形で受けて、最終的に文化として生まれ変わった。

とは言うものの、話を「真剣」に戻すと、更に苦しい環境は続く。

もはや日本刀という物理的な存在としての「真剣」を日常的に所有できない時代に入り、ますます「真剣」がイメージできなくなっていく。やがて、「真剣」は、「真剣（日本刀）」を手にして、命のやり取りを前提に相手と対峙した場面で生じる心理状態のことを意味する抽象的な言葉として生き残った。

苦しく貧しい激動の時代を生き抜いた先人達が、死と背中合わせに暮らす中でかろうじて保っていた「真剣」という言葉のイメージ、そこに表現される心理状態をもたらす場面や環境の残像は、その後の急速な近代化による富国の実現で目減りし続けた。

「剣術」を「剣道」に昇華する過程において不可欠な「真剣」味という要素が、もはや日常生活では作り出すこともイメージすることもできにくい存在になっていったのである。

「真剣」に学べなければ「剣道」と呼べるものにすることはできない・・・。

ここに現代剣道における「試合」の意義が改めて生まれたと考えられる。

武道における「試合」が、スポーツにおけるそれほどゲームとして洗練されたものではなく、「血で血を争う命を懸けた戦いのシミュレーション」という位置づけにあることは、どれだけきれいごとを並べたとしても否定できない事実であるように思える。

例えば「剣道」の「試合」であれば、それが「真剣」を手にして相手と行う殺し合いの場をシミュレートしていることは否定できないだろう。

であるから、武道において「試合」に勝ち残ることは、相手を死に追いやることを意味する。
ここがスポーツにおける「試合」と武道における「試合」の決定的な違いである。
スポーツにおける「試合」の位置づけからは「剣道」は生まれない。
「剣道」で勝つことは自分が生き残ることであり、相手を死に追いやることと表裏一体だ。

武道における「試合」とは、このようにスポーツにおけるそれよりも、もっとえげつないものだ。

死にたくない、もっと食べたい、欲しい物を手に入れたい、子孫を多く残したい・・・そんな原始的な人間の欲望。他人の命を奪ってまでもそんな自己中心的な欲望を実現しようとする野蛮な思惑が引き起こす「不毛な争いの世界」。それをシミュレートして現代に再現させる道具こそが武道における「試合」であると言えると思う。

相手を倒して最後まで勝ち残り、大会で優勝して名声を得る。相手の死と引き換えに自分の名声を得たいという欲望。自分の勝利のためであれば相手を倒してもかまわないとい無分別。そうした自分に都合のいい「欲望」を周りに迷惑をかけることなく心に呼び起こさせ、それを満たすために全力で相手を倒したい衝動に引きずり込む。「試合」とはそういうものだ。

このように現代の「試合」では、実際に人が人の命を奪い合うエネルギーとなりうる原始的で危険な欲望を呼び覚ます代わりに、比較的無害な現代社会における名声欲をうまく使って相手を倒したい欲求をかきたてる。こうすることで、平和な現代におどろおどろしい「戦場」と「戦闘」とをシミュレートして見せる。そこでは、人はいやおうなしに「真剣」という心理状態に追い立てられる。

この「模擬戦場」に立つことで、唯一人は「真剣」味を思い出す。というよりも、体感する。痛感する。

この動物的な欲望に根を張って産声を上げた「模擬戦場」で感じる、非日常的な「真剣」味の感覚に、ほとんどの人間は戸惑い、平静を失い、心と体のコントロールを失う。

この切迫した状態を手に入れることが全てのスタートとなるのだ。

そんな厳しい場においてさえも平常心を失わずに平静でいられる心理状態を手に入れるべく心身を磨き修める取り組みを決意したとき、人は初めて己の心の奥深くに潜む動物的な欲望を真に克服し、おどろおどろしい心理状態を克服し、「剣術」と言う野蛮な媒体を介して、「人間」と言う理性的な存在に近づく機会を得る。

こうして、自己を磨く手段としての「剣道」という人間形成の道を手に入れることができるのではないだろうか。

そう考えると、現代の「剣道」の現場では、この「試合」という道具がもつおどろおどろしい意味や本当の価値、そしてその効果的な活用方法を積極的に考えていくべきだと思う。
多くの人がこれらのことを深く考えずに「剣道」に取り組んでいるように思えて不安に感じる次第である。

冒頭に述べたとおり、「剣道」は「剣術修行」を通じた人間作りの道である。
親の躾や社会のおかげで最低限の水準までには育てられた自己の人間性を、更に自ら磨き、少しでも高みに導くための具体的な方法なのである。

一方で「試合」は「剣術修行」を「剣道」に昇華させるための重要な道具である。
この道具なしには、平和な現代で「真剣」味のある取り組みなど手に入れることはできない。

「剣道」に取り組むものは、自らの想像力を最大限に駆使して、「稽古」と「試合」の両方を車の両輪のごとく使いこなしつつ、「剣道」を通じた自己研鑽に励むべきであると思う。

「正しい剣道」か「試合に勝てる剣道」かなどといった不毛な議論はもう必要ない。
「試合に勝つことを目指さない剣道」など「生きることを目指さない人生」と言っているようなものだ。
それではやっても意味がないのである。

試合で勝つことが目標であって目的でないだけのことだ。
剣道の目的は人間形成である。剣道の目標の一つに試合で勝つことがある。
したがって、この両者は常に同時に取り組まれるべきものであると私は考える。
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    <title>幼少年剣士の指導について</title>
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    <published>2006-05-19T10:46:29Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:51Z</updated>
    
    <summary>今年度から、ちびっ子剣士たちのご父兄からの要望もあって、私の出身道場である「太宰...</summary>
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        <name>在津吾朗</name>
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            <category term="剣道の少年指導" />
    
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        今年度から、ちびっ子剣士たちのご父兄からの要望もあって、私の出身道場である「太宰府心聖会」の指導員になりました。

私の二人の息子もこの道場で稽古に汗を流させて頂いている関係もあり、長男が中学生になって福岡を離れて長崎に行ったのをきっかけに、この道場の小中学生の稽古を手伝わせていただくことにしたのです。

私が通っていた頃は「水城心聖会」という名称だったと思いますが、現在は、福岡県剣道連盟筑紫支部太宰府剣道連盟の支援で活動を行っている道場のひとつです。

稽古日は火曜日・木曜日・土曜日の週三回で、そのうち、私が時間を取れる時だけの指導です。

幼少年指導の現場に着くのは、大学生の頃、東京杉並の大義塾道場で幼少年の剣道指導をお手伝いさせていただいて以来のことで、色々と不安も沢山あります。

ですが、もちろんやるからには誠意を持って事にあたろうと考えています。

そこで、折角の機会なので、幼少年剣道の現場で感じたことなどをここに記録して行こうと思います。

そもそも私が子供の頃と違って、今は剣道人口が非常に減っており、太宰府心聖会も例外ではありません。
        小学生と中学生を合わせても30人にも足らない有様です。

このこと自体私に言わせると大変残念なことで、いくら世の中少子化が進んでいるとはいえ、減りすぎだと思うのです。

人間形成にこれ以上のものは無いと思える剣道に、一人でも多くの人々、特に少年少女が取り組んでくれればいいなとの思いが募るばかりです。

そんな状況ですから、剣士の数もさびしいもので、まずは10名足らずの小学生の稽古に参加することからはじめました。

ところが、いざ取り組んでみると、10人足らずの少年剣士を相手にするのも一苦労。
色々と思うことも沢山あって、非常に勉強になります。

これまでも、自分の息子たちと日曜日に体育館の武道場で剣道をしたりすることはあったのですが、自分の子供以外の少年少女に対して剣道を指導すると言うのはまた別の難しさがあります。

「これほど難しいことだったのか」と改めて思い知らされている次第です。

さてさて、どんなことになっていくのでしょうか・・・楽しみでもあり不安でもありという心境です(*^_^*)
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    <title>柳生正木坂剣禅道場</title>
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    <published>2006-04-01T03:53:21Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:51Z</updated>
    
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            <category term="剣道日記" />
    
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        <![CDATA[<a href="http://www.kenshi-shokun.com/img/DSC00415.JPG"><img alt="DSC00415.JPG" src="http://www.kenshi-shokun.com/img/DSC00415-thumb.JPG" width="400" height="300" border=0 /></a>

昨年の4月23日（土）24日（日）の両日、奈良市柳生町　芳徳寺内　正木坂剣禅道場にて行われた、第25回松下電器剣道部柳生研修会に参加してから早くも一年近くが経過しました。

今年も4月22日（土）23日（日）の両日、正木坂道場を会場に柳生研修会が開催されます。
芳徳寺と言えば、柳生宗矩が父石舟斎（宗厳）の菩提を弔うために建立した寺で、柳生家代々の菩提所として有名。本堂には釈迦如来坐像をはじめ柳生宗矩、沢庵和尚の像が安置されています。 

昨年始めて参加した時には、その「柳生家ゆかりの」とは別の意味でわくわくしながら参加したのを思い出します。この気持ちは私のような30代の剣士であればある程度はわかってもらえるはず(*^_^*)

高校時代に夢中になって読んだ「六四三の剣」という漫画がありました。
その中で、修羅の父・藤堂先生の計らいで、最後のインターハイを控えた高校3年生の修羅とインカレを制した韮山先生の息子が剣を交えた場所。それが、この柳生の「正木坂剣禅道場」なのです。

実際、色々な剣道研修会の会場として利用されている場所で、一度は訪れてみたかったのですが、訪れてみると、まぁ見事な道場でした。

今年も（中身はしんどいですが^_^;）楽しみです。
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    <title>「勝つ」ということ</title>
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    <published>2006-03-31T09:52:19Z</published>
    <updated>2007-10-16T04:50:51Z</updated>
    
    <summary>最近、「勝つ」ということについてよく考えます。 95年に剣道を再開した当初、試合...</summary>
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        <name>在津吾朗</name>
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            <category term="剣道の構え" />
            <category term="剣道コラムから" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kenshi-shokun.com/">
        最近、「勝つ」ということについてよく考えます。

95年に剣道を再開した当初、試合に出ても全く勝てず、
剣道ってどうやって勝つんだったっけ？と悩みも深かった頃、
剣道がすごく苦痛に思えた時期がありました。

ちょうど同じ頃に、4段の昇段審査に続けて何度も失敗し、
試合にも勝てない、審査にも通らない、そんな自分の剣道に
嫌気が差した頃でした。

        
稽古をしてもきついだけ・・・。
稽古会の会場の近くまで車で行って駐車場で中々踏ん切りがつかず、
挫けてそのまま稽古をせずに帰宅するなんてこともありました。

何かを特に目指しているというわけではなく、
それでも、試合に出れば試合に勝ちたい。
審査を受ければ昇段したい。
そんな欲目があるだけで、剣道から何かを得ているという実感もありませんでした。

あれから10年・・・色々と考えつつ剣道に取り組んできましたが、
最近改めて思うのです。

剣道はやはり「勝つ」ことが大切だと。

以前は負けてばかりだった大会で勝ったり負けたりするようになった辺りから
「強い」ということはどういうことなのかということについて漠然と考えていたのですが、
先日、毎年3月に開催される大野城市月曜稽古会の大会で
3段の２刀の選手と試合をした時に明確に感じたのがこのことでした。

この大会には独自ルールがあります。
3段以下の選手は自己申告でハンディキャップを取ることができるのです。
私の相手の２刀の選手もハンディキャップをとりました。
そのため、相手が1本先取した状態から試合が始まりました。

試合時間は5分。

この状況で勝つためにはどうしたらいいのか。
とりあえず時間内に一本を取り返さなければ話にならない。

実は、私はこの試合に臨む前にある決意をしていました。
「勝つ」ということにこだわってみようと決めていたのです。

緒戦を一本勝ちで勝ち、2試合目で迎えたこの状況で思ったのは、
日ごろ稽古の際に、こんな心理状態になったことは無いなということでした。

勝ちたいと思っていたわけではないのですが、「勝つ」ことを前提に考えていました。
そうすると、自然と「とにかく、一本を取る」という強い気持ちがわいてきたのです。

2刀なので、不用意な一本を食らえばそこで負けです。
かといって思い切って攻めていかなければ一本を確実に取るのは難しい。
そこで、相手のラッキーパンチを警戒しながら試合時間一杯攻め続けました。

結果は一本をとることはできず敗退しましたが、
不思議なことに勝てなかった悔しさは残りませんでした。
負けず嫌いの自分にとっては驚くべきことです。

この試合ではっきりと感じました。
私は、日ごろ稽古の際に「勝つ」ということを全く意識できていない。
気持ちよく相手を叩けたら満足し、沢山叩かれたら悔しいと感じているだけだ。
この一本が決まらなければ勝てないと思って技を繰り出してはいない。
「勝つ」と思って一本を取りに行っているわけではない。

技がどうとか、理合がどうとか、それはそれで大事だと思います。
先々の先の技を目指すことも大事だと思います。
でも、まず最初に、相手と向かっている時の心の状態ができていなかったら、
その状態で何をいくらやってもだめなのじゃないかと・・・。

30年近く剣道をやってきて、いまさらそんな事に気がつくなんて(T_T)

「勝つ」とは生き残ること。
生き残るためには勝たねばならない。

限られた時間の中で一本を確実に取るしか勝つ方法がない、
そんな切迫感を乗り越えることで、このような勝つことへの意志が養われるのかなと。
そしてその意志を養うことができた人間が強いのかなと。

本当の「強さ」とは生き残るという強い意志を持つことができるということ。
転じて考えれば「勝つ」という強い意志を持つことができるということ。

死にたくないと思えば負けたくないとなり、
負けたくないとなれば、手段を選ばず勝とうとする。
もう少し理性を失えば、安全に勝とうとする。

それでは「勝つ」という強い意志というよりも
「負けるかもしれない」という恐怖の感情が心を強く支配してしまいます。
そうなると四戒が生じて、勝つことはますます覚束なくなる。

死に対する恐怖を乗り越え、平常心で勝負に臨み、捨て身の業を繰り出す。

生きることへの執着を捨てたところにしか生き残る道が無い時に、
生きることへの執着を捨てることができるか。

捨てたところで正々堂々と戦い、結果的に勝つ。

そんな正々堂々の勝利を目指して取り組んでこそ、
本当の意味での剣道に近づくことができるのかもしれません。

たまたまの勝利ではなく、強い意志の結果として勝利を得る。

勝負を超越して健康維持のために剣道に取り組む。
もちろん、それは十分ありだと思います。
それでも、強い意志を養うことが健康に与える影響は大きいでしょう。
そういう意味で、健康維持のために取り組む剣道であっても
大いに「勝つ」という意志にこだわるべきかもしれません。

それ以外の剣道では、「勝つ」ことへのこだわりを必ず持って
「勝ち」につながる全ての打突の瞬間に
「勝利への一本」の意志をこめて取り組むことが、
結局は上達への早道なのかなと思います。

戸締り用心火の用心、一日一善。
健やかな精神は健やかな肉体に宿ります。
さぁ、稽古しましょう！

それでは、また土曜日に
いつもの武道場でお会いしましょう。

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