「昇段審査」について

今回は、昇段審査についてです。
もともと、四段以上の昇段審査は、ブランクが1年以上空いた「復活系社会人剣士」にとっては非常に難しいものがありました。
私自身、四段の審査には3回不合格し、4回目でようやく合格しました。
不合格が続いている間も一生懸命稽古をしていたのでショックもひとしおでした。
この経験から学んだことがありましたのでここに少し書いてみようと思います。
三段までと四段以降は、明らかに求められるものの質が変わります。


四段の審査までブランク無く稽古を続けてこられた幸運な剣士の皆さんは、この時期、先生や先輩方から、「溜めて打て」、「闇雲に撃たず機会を考えろ」、「中心を外すな」、「間合いを考えろ」、という指導を自然に受け始めます。
それまでタイミングと身体能力だけで動物的に行ってきた直感的な剣道を卒業して、理論的な裏づけがあり、身体能力に依存しない、精度の高い剣道を目指す時期に入るのです。
ところが、三段を取得して四段に挑戦するまでの間に、多くの剣士は転機を迎えます。
剣道に対して求められる内容が高度になるこの大事な時期に、多くの人は生活環境が変わってしまい、ブランクが始まるのです。
それまで積み上げてきた賜物「直感型剣道スキル」が時間とともにくすんでいきます。
やがて剣道を再開する時には、タイミングと身体能力だけで動物的に行っていた、直感的な剣道自体が思うようにできなくなっています。
まずはここの回復を目指す必要が生じるのです。
そこで、何ヶ月か、或いは稽古環境によっては何年かかけて、ようやくイメージどおりに体が動くようになったなと感じる頃になると、「それじゃ駄目だ」と先生や先輩の指導が始まります。
指導するほうからすれば、「ようやくスタートラインにたどり着いたな」ということなのですが、
これで九分九厘混乱してしまうのです。
途中にブランクさえなければ、それほど深く考えなくてもスムーズに移り変わっていけたはずのステップを、ようやく取り戻した直感的剣道に固執してしまうために超えられなくなります。
取り戻したものを捨てるのは非常に難しいのです。
※この点、朝廣君が四段に取り組んだ時は立派だったなぁ・・・。
この状態を抜けるために効果的なことは、「考える剣道」を意識的にはじめることです。
といっても、竹刀を持って打ち合いをしている時に考えろということではありません。
(竹刀を持ったらむしろ無念無想を目指すべきです。)
四段以降の剣道は、「剣の理合」を体得する稽古になっている必要があります。
ただ打ち合いをして、当たったとか当てられたというだけではなくて、その稽古に取り組んで行った暁には、「剣の理合」が体得できるという「道」になっていなければならないのです。
実際に防具をつけて稽古をしている最中には考える時間はありませんから、いつ考えるかというと、稽古をしていない時に時間を作って考えるのです。
そうして事前に考えておいた理合を、稽古で実際に試すのです。
これは言うのは簡単ですが、中々難しい方法です。
何が難しいかというと、日頃の忙しい毎日の中で、剣道のことを考える時間を作ること自体が難しいのが現実です。
だからこそ、ブランクが空いてしまった剣士はこれをやるのが効果的です。
剣道は「理業一致の人格形成修行」です。
そこには、竹刀を持って行う部分だけでなく、理念や理合や、先達の言行録などといった「理」の世界があります。
三段までに積み上げ、慣れ親しんだ、剣(竹刀)を構えて相手と向き合って行う「業」の修行に「理」の修養を取り入れていくことで、より高度な剣道修行の世界に入っていけるのではないかと思います。
また、四段以降では、指導者としての自分の在り方を考えなければならなくなります。
「自分は人に剣道を指導する気は無い」と思われるかもしれません。
しかし、道場で人前で剣道をする以上、これは避けて通れない部分です。
口で指導をすることこそ無くても、日頃剣道に取り組む姿を後輩が見る時に、自分の意思とは無関係に見取り稽古の対象になってしまいます。
指導者というよりは、人に影響を与えてしまうという方がしっくりくるかもしれません。
皆さんの稽古の姿を後輩が見習っても大丈夫か。
これについては、「技術」よりも「取り組む姿勢」のほうが大事な気がします。
あなたが四段であれば高校生以下の人たちは参考にしようとするでしょう。
あなたが五段であれば社会人剣士をはじめ、多くの剣士の方が参考にしようとされるでしょう。
五段の私はいつも六段以上の先輩の稽古から何かを得ようと真剣に見取り稽古をしています。
こんなことを考えるようになったのは四段の審査に何度も不合格になったおかげです。
合格するまでの間、思うように稽古ができていなかったら、もしかしたら、稽古不足を言い訳にしていたかもしれません。
稽古をしても合格できなかった時に、ようやくアホな私は気がついたのです。
稽古の回数が多ければ修行が進むわけではない。
逆に、「理業一致」の意味がわかれば、稽古の時間をふんだんに取れる剣士にも負けないくらいの剣道を身につけられる可能性がある。
皆さんも、「理業一致の剣道」を目指して、一緒にがんばりましょう!
これなら竹刀を握れない時にも取り組めます!

この記事を書いた人

剣道錬士六段 ザイツゴロウ