「気」の働かせ方について

いよいよ今年は6段挑戦の年となります。
5段に昇段させていただいてから早くも5年の月日が経とうとしている・・・。
「光陰矢のごとし」とはよく言ったものだと思います。
さて先日、これまで自分が残してきた記録をまとめて読み返していて、面白いことを発見しました。ちょうど昨年2月の中頃に下記のような記事を残していたようなのです。
「間合」について
その記事には、一昨年取り組んでいた課題である「足と腰で行う剣道〜先を取る」がひと区切りつきそうな所で新たな壁にぶつかって悩んでいた私が、その壁を乗り越えるためのヒントになりそうな課題について、一時期に何人かの先生に同様の指摘を立て続けに受け、昨年のテーマを「間合を知ろう!」に決めたという件を書いています。
すると、大変興味深いことに、今年の同じ2月中頃、下記のような記事を書いていたのです。
2月10日の稽古会
ここには、九州松下剣友会の稽古会で新しい課題を指摘されてありがたかったということが書かれています。
この「指摘」は、昨年の課題であった「間合を知ろう!」がある程度区切りがついた所で次の「目に見えない壁」にぶつかって悩んでいた私の意表をついて突きつけられたもので、言われたその場では何を言われたか実はよくわかりませんでした。
その晩よくよく考えてみても何を言われているのかわからなかったくらいで、翌日のむさし剣錬会朝稽古でもう一度その話について聞かせてくださいとお願いしたくらいのものでした。
ところが、この指摘を受けた直後に、別の先生から立て続けに全く同じ指摘を受けたのでした。
その後は、考えれば考えるほど、これこそ今の自分が直面している壁を乗り越えるために必要な課題そのものなのではないかという確信を持ちはじめ、とうとう今年のテーマを「気の働かせ方を学ぼう!」に決めたところだったのです。
そのお礼を下記の記事中の「追伸」に書いていたりしています。
ヤマハ剣道部ブログにリンクしました
後から考えると、この流れは、まるで昨年の繰り返し・・・違うのは課題の中身だけでした。
不思議なものですね(*^_^*)「求めよ、さらば与えられん。」を体感した出来事でした。
さて、肝心の「気」の働かせ方について考えて見ましょう。


指摘を受けた内容をまとめるとこういう感じでした。
  ・ 自分が打とうと思うときにしか攻めていかない(攻めてこない)。
  ・ 自分が打とうと思ったときにしか打っていかない(打ってこない)。
  ・ 相手不在の剣道で自分勝手になっている。
  ・ 「虚」と「実」のコントロールができていない。
  ・ 心が「実」の時は強いが「虚」の時は赤子の手をひねるほどに造作もない。
「先」を取り「間合」を知り「一拍子」で打突する。
ようやくそのイメージが持てるような気になってきた矢先の文字通り「意表をつかれた」指摘でした。
あまりにもピンとこなかったため、その夜はあまり眠れませんでした(*^_^*)
なぜだぁ〜!!!と悶々と考え続けて・・・そしてようやく思い当たりました。
相手の「気」を無視していると言うことか?「合気」になれていないということか?さらに言うと「気」にムラがあるということか!?
まとめると「気」を上手に働かすことができていないと言うことなのではないだろうか。
つまり、相手の「気」と無関係かつムラがあるから、そこにはたっぷり「油断」がある。つけいる「隙」がある。「虚」になる瞬間がある。
これは心の問題だ。そうとわかれば、次に考えるべきは、これを克服するにはどうすればよいかだ!というわけで、ここでようやくチャレンジャーの精神に戻ることができました。
そういうわけで今年は一念発起、新たな気持ちで次の段階を目指すことにいたします。
まずは「相手あっての剣道」いわゆる「合気」を体感できることから始めて、「気」を自由自在に働かせることを目指してみようと思います。
よくよく考えてみると、実はこれはかなり以前から色々な先生や先輩から指摘され、すでにどっぷり抱えていたテーマで、正直これまでは高度すぎて実感がもてないまま放置していたものでした。ですから、取り組むにはいい機会なのです!
相手の「気」とこちらの「気」のチューニング作業から初めて、きちんと周波数が合ったところで心のやり取りを行う。
何はともあれこの辺からの取り組みになると思います。相手の「気」を感じ取れない鈍感さ加減では話にならないでしょう。
そう考えていくと、今の自分がどれだけ無神経な剣道を展開しているかを認識して恥ずかしくなってき始めます。
とりあえず、一連の流れのイメージとしては・・・
場を支配すべく丹田で練った「気」を周囲に解き放つ。
相手の「気」を感じ取り、こちらの「気」との間にせめぎあいが起きるのを確認してから心のやり取りを始める。
相手の心を自分の心に写し取ることができるかどうか「不動心」の勝負。
上手・下手に関わらず「懸かる稽古」を旨として打太刀の気概で「機」を見てこちらから積極的に打ち間に入っていく。
打つために「打ち間」に入るのでなく、いつでも打てる準備ができたと感じたら、自ら進んで、ただ「打ち間」に入っていく。
そこで相手がどんな動きを起こそうとも「間髪容れず」に技を発動し相手の心の「虚」に向けて打突を放つ。
このようなイメージの状態から繰り出される「究極の一本」を目指して試行錯誤する。
例え一刀両断されても悔いは無いという「捨て身」の覚悟で「四戒」を払って迷い無く打って出る。
実際に打たれれば、そこは捨て所ではなかったことを教えられたも同然で、すかさず感謝する。
実際に打てれば、自分に至らぬところは本当に無かったかと、すかさず反省する。
立会いの間中、そんな「油断も隙も無い状態」に自分を保ち続ける。
イメージするところからはじめるしかないですから、まずはここからやってみようと思います。
テーマは「厳しい剣道」です。
ちなみに、自分は本当に「気」を十分に働かせることができるようになれるのか?
この問題に関しては人間の思考に関するひとつの仮説があります。
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そうできるようになれると思えばそうなれるし、
そうできるようになれないと思えばそうなれない。
いずれにせよ、なんにせよ、思ったとおりになる。
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私は経験上これは限りなく真理に近いものではないかと考えて信じて活用していますので、今回もこの「理」でまい進します。
『為せば成る 為さねば成らぬ なにごとも 成らぬは人の為さぬなりけり』
の精神でがんばります(*^_^*)

この記事を書いた人

剣道錬士六段 ザイツゴロウ