思えば、五段に合格して数年の稽古で何か掴んだ感じがあり、その後は剣道大会でも簡単に負けなくなりました。そこからは、大きめの大会で準優勝する経験などもあったり、六段審査が始まった前年には、年間200回稽古に挑戦して達成したりしていました。
とにかく、六段審査への挑戦は満を持してはじめたはずでした。
ところが…
結果は、ご報告した通り惨憺たるものでした。3度目の不合格あたりから長くて暗いトンネルに迷い込み、自信をなくし、道を見失い、不安と迷いだらけの剣道に陥ってしまい、自身の活動の記録をサイトに掲載することすら気が引けて長期間お休みしてしまう始末。
合格するのに10年近い歳月を費やしてしまいました。いま振り返っても情けないです(^_^;)
そんな私を支えてくれたのは、師匠と先輩方、応援し続けてくれた仲間や家族の存在でした。そして特に、故人となられてしまった横山鐵矢範士、金子信仁教士のお二人は、出口を見失った私に、いつも一筋の光を与えてくださいました。
そんな六段審査から早くも6年が経ち、時は2022年5月。七段挑戦の時期がやってまいりました。
ところが…
六段に合格してからの6年は、五段に合格してからの5年とは全く異なり、谷あり谷あり、また谷あり的な、ちょっと考えられないくらい苦しい時間でした。
なので、今年の5月に久しぶりに名古屋での審査に向かった足取りは、何年も合格できずにいた六段審査後半の時期と同じくらい重いものでした。
周囲には「六段で苦労した人は七段にスッと合格するものだから」といった励ましをくださる方も多いのですが、到底そうは思えません。
というのも、六段に合格してほぼ1年後の5月に体調を崩して入院してしまい、その際の治療薬が原因となって、ただでさえ多めの体重が10キロほど急増(^_^;)
そこから3年ほどかけてようやく回復し始めたかな、という頃に今度はコロナ禍が世の中を席巻。最初の1年は30年以上ぶりくらいに剣道稽古ゼロを体験。
そんなこんなで、あっという間に2022年の春を迎えることになり、六段合格した翌年あたりと比べると、積み重ねた稽古量は全く足りている気がせず、日頃の稽古の内容も、まるで別人のような状態になってしまっているのを感じていました。
つまり、まったく自信がない。
さらに、こんな状態で審査を受ける資格はあるのか、という、いまさら話にならない初歩的な迷いまで抱えてしまい、思えば、それでまともな立ち合いを披露できるはずもなく、実際審査の際には、相手と立礼する際に足がガクガク震え、打突時の発声では声が全く出なくなり、頭が白くなって上体と下半身のリズムがバラバラになってしまうという驚きの体験をすることになりました。本当に驚きました。なんでこんなことになってしまったのかと。
初めての七段審査が目も当てられない結果に終わったことを受けて、私は悟りました。
また、ゼロからのスタートだと。
六段審査の際に、せっかくあれだけ苦労して積み上げたものは、ここ数年の時間の中で、もろくも崩れ去ってしまったかのようです。
しかし、それを恨んでも仕方ありません。またやればよいのです。
そう心を決めて臨んだ8月の福岡での審査では、膝が震えることも声が出なくなることもありませんでした。笑ってしまうことに、あれだけゼロからやり直しだなどと考えていた割に「あれ?もしかして、もしかした?」などと淡い期待を覚える感触があり(もちろん幻想です。後日届いたハガキは見事にC評価でしたw)思わず発表をガン見してしまいました(笑)
ただ、少しだけもといた位置に向けて前進できたのは感じました。
そして、先日11月12日(土)名古屋での3度目の審査。
結果は、残念ながらというか、やはりというか、不合格だったのですが、今回はちょっとしたお土産をもたされてしまいました。というのも、またしても打突時に声が出ない状態を経験したのです。正直、戸惑っています。なんだなんだ??
これには少し深い問題が潜んでいるかもしれません(T_T)
というわけで(恒例になどしたくないのですが)「3度目の不合格からトンネルに入りま〜す!」ということになりそうな予感しかありません。
ただ今回は、七段審査を突破するまで心を強く持って、なんとかその経緯を記録していこうと考えております(少なくとも今は)(笑)
とにかく一日も早く七段審査を突破して、そこから10年修業を積んで、八段審査に挑戦する。
生きているうちに、なんとしてもこれを達成しなければなりません。巷のエリート剣士のみなさんとは毛並みの違う剣道家の端くれが「剣道八段範士を目指す」と豪語したからには、どれだけ情けなくても、せめて八段審査に挑戦する権利を得るところまでは歩んでいかなければ、それは立つ瀬がないというものです。
そんなことを思いながら悶々とした日々を過ごしております(`_´)ゞ