六段合格!

2016年5月15日、名古屋にて、39歳になった翌日の2007年8月26日に福岡で始まった「六段挑戦」の幕が閉じました。六段合格…感無量です。正直ホッとしています。

思い返せば、2007年8月、11月、2008年5月、8月、11月、2009年5月、8月、11月、2010年5月、8月、11月、2011年5月、8月、11月、2012年5月、8月、11月、2013年5月、8月、11月、2014年5月、8月、11月、2015年5月、8月、11月、そして、2016年5月…と、実に27回目の挑戦でした。

六段に合格するまではこのブログを封印すると宣言し、とにかく六段の壁を突破するんだと、来る日も来る日も剣道と向き合い、迷いと悩みの間で苦しむ地獄のような毎日に耐え、近頃では「もうこのまま合格する日など来ないのではないだろうか」という不安と戦い、審査の合格発表に自分の番号がないことに無力感を覚えるのに抗い、なんとか挫けず向き合い続け、今日の良き日を迎えることができました。

師匠にいただいた言葉を実践すべくひたすら歩んだ茨の道。
攻め合いの中で攻め勝って打ち抜く…

3回目の審査に落ちた辺りから、霧の中に迷い込み始めました。
周囲の諸先輩からのアドバイスが増え始め、良かれと思ってかけていただいた言葉で、自分が考える理想の剣道とのずれに苦しんだり、逆に苦悩が深まる場面も多々ありました。
修正しても修正しても雨後の筍のように出てくる問題点に困惑し、
自分を追い抜いていく剣友たちの背中を見送っては焦燥感を覚え、
周囲の期待や心配を感じることすらメンタルを追い込み始めました。
しかし今思えば、合格にこれだけの歳月がかかったことも僕にとってはラッキーなことでした。

実際、初めて六段審査を受けた9年前の僕の剣道は、今のそれとは比べ物にならないほど穴だらけの代物だったと思います。足りないことだらけの剣道。
確かに六段審査では、求められる要素をクリアすれば、他に多少問題を抱えていても合格する傾向にあるのですが、そうすると、残った課題を抱えたまま昇段することになります。そこからくる苦しみは、いずれ剣士を襲ってくるようです。

その点、僕の場合、師匠の一人に初めて剣道を見てもらった日に「全体的に思ったほど悪くはないが、剣道のコツがわかっとらんな」と評された通り、審査に合格するために必要な核心がつかめていないだけでなく、六段審査合格に直接必要な要素でない部分にも、剣道の質を考えると大きな問題になりかねない「難点」をかなり抱えておりました。

なので、この9年の間に周囲からたくさんの修正点に関するアドバイスを受け続け、その多くを見つめ直して地道に克服することを通じて、そして最後は、ひとりの師の言葉だけを信じて仕上げに取り組むことができたおかげで、剣道的にかなり成長させていただいたという実感があります。
だからこそ、ラッキーだったと思えるのかもしれません。

本日六段審査に合格させていただいたこと以上に、ここにいたる道程で得た進歩の方が大きな財産なのかもしれません。僕の剣道人生に欠けていた部分が、六段挑戦の過程で塗り固められていきました。本当にありがたいことです。

…とはいえ、それにしても今日まで長い道のりでした(笑)

せっかくなので、今回の経緯を書き留めておこうと思います。
実は今日は、これまでになく「六段に合格する」という強い気持ちで会場に入りました。
つい最近になって、僕の頭を悩ませ続けていた「攻めってなんなの?」問題に決着がついた結果、「審査会場で自分は何をすべきなのか」という点が明確になっていたからです。前回の審査で手応えを得たこともあり、迷いが消えていました。

自分では、相手を攻めて先をとって打突しているつもりなのに「待っている」と言われるのはなぜなのか、そんな疑問にも答えが出ていました。
やるべきことは「相手の攻めに引き出されず、とにかく先をとって正しい機会に得意な技を打ち抜く」ただそれだけ。
初太刀がどうとか、打ちすぎがどうとか、打たれすぎないようになどといった瑣末なことは頭の隅に追いやりました。肝心なのは、自分はどうやって先をとって技を出すのかというイメージを具体的に練り上げておくことかと思います。

そもそも、正しい間合いで、中心をとって、打突部位を刃筋正しく打ち、残心をとる…立ち合いの中でそういった部分を行えるということは五段までにできているという前提なので、そこから積み上げる要素が何なのか考えることが大切に思えます。

いつでも打てる構えを保ちながら徐々に徐々に相手に体を寄せて、剣先と攻め足を使って三殺法を行い、相手の攻めに応じて打ちたい気持ちをぐっと我慢して、相手の動きを察知したと感じたところで一瞬のタメを作る…ここまでが大変難しいところです。そこからは捨て身で一気に打ち抜いて残心をとる。これの繰り返しです。僕の場合、大きな転換点になったのは、相手が動きだす前にこちらが打つ形になるということを理解したことでした。相手の動きが見えてからこちらが動くのでは、目指す形からは遅すぎるのです。この部分を練り上げるための稽古を積む必要があったのだと思います。ちなみに、僕はまだまだここの稽古が足りていないという自覚があります(^_^;)

初太刀を取るとか、打ち過ぎないとか、無駄打ちしないとか、打たれないとか、そんなことは結果的にそうなるのであって、それを目指してやるようなことではないし、本当にやるべきことはそこではないのだと思いました。

立ち合いの場に出て礼をする。三歩進んで蹲踞する。立ち上がる。声を上げる。間合いを詰める。ここまでの全ての段階を、相手の先を取る気持ちで行います。
そして、剣先が触れたところからは細心の注意を払って事を行い、神経を研ぎ澄まして、こちらの射程距離の中で相手が少しでも動こうとしようものなら、その「う」を打ち抜くぞと集中し、実際にそれを感じたと思っても、そこでさらに一瞬のタメを作る。これをやろうとすると、そもそも何本も打つというのは難しい話になりますし、仮に相手が攻め返して出てこようとしたとしても、反射的に応じて技を出すことなく、技前に相手を凌げるので、打たれすぎるということもなくなります。

その際に僕が心がけた事と言えば…

  1. 右足を相手の股の間辺りに向けて少しづつ少しづつ詰めるなどして攻めを伝える。
  2. 不用意に右に回ることはしないようにして前に前に体を寄せながら相手を観る
  3. 剣先は柔らかく楕円のイメージで相手の中心を攻め続ける。
  4. 相手の動きに神経を集中させて、起こりや居つきの感じを察知する。
  5. 相手の動きに合わせて打って出たくなる衝動をとにかく抑えて我慢する。
  6. 今だ!と感じた瞬間を信じつつ、そこに少しだけタメを入れる。
  7. あとは捨て身で、ほとばしるように打ち抜く。
  8. 打って出る際は、左足で左拳と右足とを同時に前に押し出す。
  9. 振りの大きさは間合いに応じて決める。
  10. 打ち抜いて振り向いたら、すぐに間合いを詰めて正念を相続させる。

という感じでした。その上で、
機が熟さぬうちに相手が無理に打って出ようとした場合には、前で捌いて打たせない。
という点を頭に入れておきました。

特に審査場が若ければ若いほど、上記のような攻防が凄まじい勢いで展開されるため、第2審査場くらいまでは打ちすぎだとか打たれすぎだとかは特に意識しなくて良いのではないかと思われます。
僕の身の回りで合格していった若手の皆さんも、それこそ相手と一緒に合格するような場合には、お互いにたくさん打ち、たくさん打たれていましたし、そもそもやるべきことをやろうとしていれば、打たれてはいけないところで、打たれてはいけない形で打たれる、などということはなくなると思います。

僕自身もそうですが、立ち合いを見学していて感じるのは、相手の攻めに反射的に応じてしまったり、こちらの攻めに反応した相手の動きに反射的に応じてしまい、攻められたにせよ攻めたにせよ、結局タメを作れず合わせて打って出てしまうことで、実のない相打ちになりがちだということです。それをいかに避け、機会をとらえた打突に引き上げられるのか、そこが一番難しいのだろうなと思いました。
この辺りについては、日頃の稽古で何をどう研鑽しようと考えているのかという剣道哲学的な部分が大切なのかなと思います。今回の一連の過程の中で、この問いに明確な答えを出せるようにすることも剣道の一部なのだと強く思いました。

さて、そこで本日の立ち合いなのですが、残念ながら思いの半分も実行できませんでした(笑)

なので、「次につながる悪くない立ち合いだった」とは思えたのですが、有効打突を放ったという手応えがあまりなく、正直今回も「もう一歩です」に終わるのかなと感じていました。つまり不合格だろうと。全27回の審査中、初めて、合格発表が張り出された瞬間に自分の番号を探しませんでした(笑)なので、張り出された紙に見たことのある番号が書かれているように思った時には目を疑いました。

とにもかくにも合格させていただいたということは、自分がやろうとしていたことが間違っていなかったという意味なのだろうと思います。
ただ、そんな風なので、審査合格に有効打突を放つことが必須なのかどうなのかについては、はっきりした答えがわからないままとなってしまいました。申し訳ありません。

悪くない立ち合いだったと感じただけに、有効打突の手応えがなかったこと以外については、まずまずの出来だったと思います。そこに1本だけ、思い通りの段取りで打てた機会があったのですが、正直、打突自体は自分でも何がどうなったかわからない部分があって、気づいたら残心をとっていました。今回は1組目でビデオも間に合わず、映像で確認できないので、そこはもう、多分それが良かったのだろうということにしておきます(*^_^*)審査で有効打突を放つことを目指すのは不可欠なことだと思いますし…

なので自分的には、本日合格させていただいたものの、これから改めて、六段の名に恥じぬ剣士となれるよう、補修よろしくこれまで以上に稽古を積み重ねて参る所存です。

それにしても、頭ではわかっているつもりでいながら10年近くも、相手を打ったとか打たれたとか、そういうことに頭を悩ませることから抜け出せなかった自分が情けないです。

この9年の長きにわたり、すこぶる迷惑をかけた家族と、多大なるご心配をおかけした僕の周囲の皆さんに深くおわびすると同時に、応援し続けてくれた全てのみなさんに、六段挑戦に終止符を打てた喜びと、そこに僕を導いてくれたみなさんへの感謝の気持ち、そしてきたるべき七段審査挑戦への強い意志をお伝えする次第です。

そして最後に、この合格を、今は亡き二人の師匠 横山鐵矢範士八段、金子信仁教士八段 にご報告したく思います。生前に朗報を届けられなかったことが無念でなりません。

今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m

この記事を書いた人

剣道錬士六段 ザイツゴロウ