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2005年08月18日

「左足」について


さて、最近小川忠太郎範士の剣道講話を読んでいて発見がありました。

それは、「左足について」です。

普通、剣道の左足については、

つま先は真っ直ぐ前に向けて撞木足にならないように
ひかがみ(ひざの裏)を伸ばして曲げないように、
踵は床につけないように、上げすぎないように、

といったところを注意されます。

小川範士の剣道講話でも、この左足について書かれているのですが、
それが少しユニークだったのです。そこには、警視庁の基本の
第一基本「足の踏み方」を紹介しながら、左足について書かれています。

☆警視庁の基本の第一基本「足の踏み方」☆

「右足は基本の姿勢より足先をまっすぐにし、
左足の土踏まずより約1足長前に出した位置に踏み出し、
左足は蹠骨部(せきこつぶ)を中心として踵(かかと)を外側に捻転する」

範士の解説では、「踵を外側に捻転する」というのは少しわかりにくいが、
腓骨(ひこつ)を伸ばすことと同じことである。とあり、結論として
左足で一番大事なのは、この「腓骨(ひこつ)を伸ばすこと」であると書いています。

「腓骨(ひこつ)」とは一体どの骨か???わかりませんね・・・(+_+)

で、調べてみるとここ↓に写真入で情報がありました。

http://web.sc.itc.keio.ac.jp/anatomy/osteologia/A02507001-017.html

腓は、「こむら」とも読むようで、おそらく「コムラガエリ」の「こむら」?
では無いかと思います・・・イケ面外科医の小倉君、どう?違う?

ひかがみを伸ばそうとすると意識がひかがみに行ってしまい止心となり、
意識がひかがみから離れるとひざが曲がってしまう・・・。
こんな悪循環に悩んだ日々を思い出して、なるほど、と早速試してみました。

左足の踵を外側に捻転した感じで力をかけて構えると、
脹脛(ふくらはぎ)の外側が張った感じになり(この内部に腓骨がありそう)、
あら不思議、つま先は自然に前を向き、踵は若干浮いた感じになり、
ひかがみは伸び、(私個人的にはここに一番感銘を受けたのですが・・・)
足の親指の付け根のところに体重が乗ります。
これが全部、特に意識しなくても自然にできる。

足の使い方のポイントとしてよく書物にでてくる内容に、
「足は親指の付け根のところに力を入れて立つ」と言う意味がよくわからなかった
のですが、この方法で足を構えてみると、そこのところに体重がかかるのです。
しかも、今までどうやって立っていたのかと不思議に思うくらい自然に立てる感じ。

皆さんもぜひ一度試してみてください。

というわけで、今回は「左足について」でした。

今週はバーベキューを楽しみながら剣道談義に花を咲かせましょう!

戸締り用心火の用心、一日一善。
健やかな精神は健やかな肉体に宿ります。さぁ、稽古しましょう!

それでは、また土曜日にいつもの道場でお会いしましょう。


2005年08月09日

「虚実」について


今回のテーマは前回予告していた通り、「虚実」についてです。

「虚実」は、中国の兵法書である「孫氏」に出てくる言葉です。
剣道の攻防の理合いは、この「虚実」に影響を受ています。

「攻めて必ず取るものは、その守らざるところを攻むればなり」

攻めれば必ず勝つという者が必ず勝てるのは、
相手の守りの手薄なところを攻めるからである。

この解釈には色々なものがあり、色々な事例もありますが、
必勝戦略的に解説してみます。

必ず勝つには、まずどこを攻めるか熟慮してから攻めねばならない。

相手が完璧に守っている場合には攻めてはいけない。

情報を集めて相手の守りが手薄なところを突きとめ、
そこを攻めることで勝ちを手にすることを考えねばならない。

守りが手薄なところを「虚」と呼ぶ。

いざ攻めるに当たっては、戦力の差を認識しなければならない。
実力に大きな差があるのに、馬鹿正直に相手の弱点を真正面から
攻めるのでは勝ちはおぼつかない。

相手も必死であるのだから、こちらが弱みを突いてくるとわかれば
たちまち弱みの守りを固め、弱みは弱みでなくなってしまう。

ではどうするか。

ひとつのやり方としては下記が考えられます。

相手の守りが堅いところをまず攻めると見せて
相手の意識をそちらに止めさせる。(止心を起こさせる)

相手の守りの堅いところを「実」と呼びます。

実を攻めると相手はますます実を固める。
するとますます虚は虚となる。

その状態にしておいて、もともと守りの薄い「虚」を攻めると、
相手はなすすべがなくなる。

このような理合を剣道に活かしましょう。

一対一の戦いでは、このように考えると理解しやすいかもしれません。

「実」とは意識が向かっているところ、

例えば、小手を守っている相手の小手、表を守ろうとしている相手の表、
下を警戒している相手の下、打って出ることを意識している時と言った具合です。

「虚」は「実」の反対側で、意識が向かっていないところ、

例えば、小手を守っている相手の面、表を守ろうとしている相手の裏、
下を警戒している相手の上、打って出ることを意識できていない時と言った具合です。

実力差がある場合には、相手が上手なら、相手に「虚」を見せれば、
そのまま「虚」を打たれて負けてしまいます。
相手が下手なら、相手の「虚」を見破ればすかさず討ち取れます。

しかし、実力が伯仲すれば、そう単純には行きません。

佐藤成明範士によれば、虚実の活用には2種類あるそうです。

1.知って攻めること
2.誘って攻めること

相手の体や竹刀捌きには、必ず強いところと弱いところがあり、
その強弱の極に達すると必ず反対に移行していくことを繰り返す。
出れば必ず引き、剣先があがれば必ず下がり、右に動けば左に動く、
といった具合です。

この相手の強弱の動きを知って、その変わり目を打つのが
実を避けて虚を打つ上で、「知って攻める」ことになります。

相手の剣先が上に上がりきった時を得て相手の面を打てば、
相手の剣先は一度下がる方向に向いているため面に虚が生じます。
ここを捉えて勝つことができます。

誘って攻めることには更に二つの場合が考えられます。

1.虚を攻めて相手が実に変化するところを打つ場合

たとえば、小手を防いで(実)面をあけている(虚)ような場合に、
機を見て相手の面(虚)を攻めるとその面を防ごうとして手元は上がります。
そこに小手を打てば成功します。(剣道・攻めの定石 佐藤成明著)

2.相手の実を知って実に誘いを入れ、実になった時、その虚を打つ場合

たとえば、竹刀をやたらに押さえる人と対した場合、
機を見て押さえようとする方面に力を加えると、思わず押し返してきます。
そのとき、押さえすぎて反対側に生じた虚を打てば成功は間違いないでしょう。
(剣道・攻めの定石 佐藤成明著)

このように相手の「虚実」について研究することは、
独りよがりの剣道を卒業して、相手あっての剣道という世界に入っていく
その入り口として価値のあることだと思います。

宮本武蔵も五輪の所に書いている通り、剣道は兵法を取り入れながら
行うのがよいでしょう。

一対一の戦いでも、一対多の戦いでも、多対多の戦いでも
全てに共通する兵法の理合に通じることができれば、戦いの場ならずとも
日常生活の場においてもいざと言う時に役に立つ人間になれるのでは
無いかと思います。

戸締り用心火の用心、一日一善。
健やかな精神は健やかな肉体に宿ります。さぁ、稽古しましょう!

それでは、また土曜日にいつもの道場でお会いしましょう。


2005年08月03日

「心を止めるべからず」について


いつも最後まで読んで頂いてありがとうございます。
在津@金沢です。

剣道で大事なことには本当に色々と多くありますね。
ひとつひとつ丁寧に教えてくれる師匠がいたらなぁ・・・。
素晴らしい師匠について修行ができる剣士は本当に幸せですね。

師匠との出会いに恵まれない剣士の方が圧倒的に多い現代で
唯一誰もが平等に得られる師匠は書籍だと思います。

剣道に関係のある書籍を読む時は、自分の想像力を最大限に発揮して
目の前に師匠が居て、自分に話をしてくれているというような気分で
自分の心のこだわりを極力封印し、何を伝えようとしてくれているのかを
理解することに全精力を注ぎ、素直な気持ちで読むようにしています。

それでも、書籍だと、目の前で師匠が口伝してくれれば無いような事で
困る場合があります・・・それは言葉の読み方です(^_^;)

特に昭和初期以前に書かれたものを読むのは大変難しいです。

例えば、「心を止めるべからず」という言葉ひとつとっても
多分、「こころをとどめるべからず」と読むんだろうなぁと思うものの
確信は無かったりします。

「こころをとめる」かなぁ・・・ここでこの字の読みに一時心を奪われて、
文字通り「心が止まって」しまったりして・・・(T_T)

心を止めてはいけないという内容を読みながら心を止めている私。
何をやっているのかわからないですね(*_*)
(この例だと、まさに内容を「体感」できているのかもしれませんが・・・)

口伝ならはじめから音があるのでこんな余計な苦労は無いだろうなと思いつつ
四苦八苦しながら読み進めています。
(口伝なら私のような者に奥義を語ってはくれないでしょうから一長一短ですね。)

さて、いい機会なので、例に使った「心を止めるべからず」について少々。

これは、ひとつの事物に注意を奪われた状態である「止心」を戒めた教えです。

剣道に限らず、心を配るべき対象がたった一つしかないことは稀です。
大抵の場合、一時に色々なことに心を配る必要があります。

そんな状況で、ひとつの物事に心が囚われれば、他の全てのことに対して
注意が足りなくなるのは心理上の原則で自明の理です。

剣道にこの自明の理を取り入れましょう。

相手が面に来れば面を防ごうとし、篭手に来れば篭手を防ごうとしてしまう。
相手が打ち込んできたら受けよう、外そう、かわそうと考える。
相手の起り頭を捉えようと剣先を見る。
相手の出端を捉えようと足先を見る。
相手の心を読もうと相手の目を見る。

剣道をしていれば誰もが経験する日常の光景ですよね。
この日常のそこかしこに、心が止まりそうな危険なわながあふれています。
このわなに引っかからないように修行しましょう。

これはいわば人の弱点で、自然にしていれば必ず心は止まってしまいます。

ある流派では、剣先をセキレイの尾のように動かせと教えます。
剣先を常に動かすことで心が止まるのを避けようと言う知恵のようです。
やってみるとわかりますが、剣先が止まっていると心が止まりやすくなります。
剣先を小刻みに動かしながら他のことにも心を働かせようとすると、
悪く言うと一箇所に集中することは難しくなります。
この作用を逆に利用しているのでしょう。

剣道では、大抵の場合、どこかに心が止まることで相手に引き回され始めます。
そして結局は、自ら相手が自分の先を取り易い状態に陥って、
相手に先を取られて打ち破られてしまいます。

このようなやられ方をすると、自分がなぜやられるのかわからない状態になります。

攻めていても、相手の太刀を切り落とす度、受ける度、一太刀打つ度に
心が止まると、切り落としっぱなし、受けっぱなし、打ちっぱなしになる。

これは自分で体感しやすいところでしょう。

心の働きをよどみなくし、向かい合っている時も、打ち合っているときも、
相手の細胞ひとつひとつに心を染み渡らせるように、更にもっと広く、
対戦している相手だけでなく、二人を含む周囲全てにこころを働かせて
自分の心で全体を覆うような心持ち・・・後は感じて動く。

そういえば、今の海老蔵が出演していた大河ドラマの「武蔵」で
柳生石周斎が武蔵に「立合いの時に鳥の声が聞こえるか?」と
聞くシーンがあったような(?_?)

だからと言って注意散漫になってしまっては元も子もありません。
よく研究しましょう。

心が止まらなくなる修行を積まないと使えるようにならないのが
「陰陽の理・虚実の理」です。

というわけで、「陰陽の理・虚実の理」については
次回のテーマといたします。

戸締り用心火の用心、一日一善。
健やかな精神は健やかな肉体に宿ります。さぁ、稽古しましょう!

それでは、また土曜日にいつもの道場でお会いしましょう。