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2005年07月28日

「剣道の心得」について


毎週活気あふれる稽古会を開催できて嬉しい限りです。

みなさん、この勢いで、(自然体で)がんばりましょう(*^_^*)

さて、今回は、古賀さんから稽古に取り入れた方がいいのではと
提案を頂いた「先」をはじめとした「剣道の心得」についてです。

剣道の心得などというと色々とあるのですが、そんな中でも
一番大事なことをひとつだけ挙げるとすれば
「機先を制して勝ちを得る」ことです。

私が目指す「正しく美しい剣道で勝つ」という目標は、
このコンセプトに基づいています。
「正しく美しい剣道」とは「機先を制する剣道」のことです。

昇段審査用の剣道、試合用の剣道、稽古用の剣道等と分けないで、
正しい剣道を追及していった結果、ひとつの剣道スタイルで、
昇段もでき、勝ちを得ることもできるレベルになることを志して
日々の稽古に取り組んでいます。

ちょっと贅沢な感じもしますが、志は高く!がモットーですので(^.^)

そこで、機先を制して勝ちを収める剣道では、
「先を取ることができるかどうか」が勝敗を決します。

勝ちを確定させるためには、機をみて先を取った後に、
「驚・恐・疑・惑」の四戒に囚われることなく、
「無刀の心得」で踏み込んで、「拍子」を外さず切らねばなりません。

ですが、まず、何よりも機を見て先を取ることがなくては
何も始まりません。

機もみるに当たっての基本は、「枕を押さふる」という心がけです。
これは相手に頭を上げさせないという心構えです。

相手のかかるの「か」、飛ぶの「と」、打つの「う」、を押さえ
相手が行動を起こすことができないようにすることです。

剣道に限らず兵法を用いた勝負事では、人に動かされてしまって
後手に回るのが最も悪い状態です。
何とかして相手を自由に動かすことを工夫するのが大切。

そこで、相手が行動を起こす前に兆しを捉えて制してしまう。
これを繰り返すうちに、思惑通り相手が動く瞬間が生まれ、そこを制する。

ここで注意が必要なのは「押さえよう押さえようとする心は後手である。」
という武蔵の言葉です。

後手になることは最も戒められるべき所です。
後手になることなく押さえる工夫が必要です。

「道に任せてわざをなす内に、敵もわざをせんと思ふ頭をおさえて、
何事も役に立たせず敵をこなす所、是兵法の達者、鍛錬の故也。」
とあるように、動中静、静中動の「懸待一致」でわざをする間に
機会が生まれるという心得が欠かせません。

自分勝手に拍子を計って、今だ!と決め付けて打ち込むだけでは、
例え当たったとしても、ただ当たっているだけで進歩はありません。

もちろん、当てることができないようでは話になりませんが・・・。

機を見る稽古と同時に、先を取ることができるように稽古せねばなりません。

宮本武蔵は五輪の書の火の巻に「三つの先と云ふ事」として
先について書いています。

まとめると

先の次第で勝ちを得るものであるから、先以上に大事なものはない。
先には、

1.懸の先   こちらから敵に懸かる時の先
2.待の先   敵からこちらに懸かる時の先
3.体々の先  こちらも敵も懸かりあう時の先

という3つの先があり、これ以外にはない。

ということです。

取るべき先の現れ方は、自分と相手の関係性によって千変万化します。
これを如何に捉えるか。

「待の先」では「待」という字が使われているので相手が打ってくるのを
待って対応するような印象がありますが違います。

剣道では先に動かれては勝つことはできません。

逆に「懸の先」では「懸」という字が使われているので、こちらから
打って出ればいいような印象がありますがこれも違います。

剣道では先に動いたら負けてしまいます。

このように言うとわかりにくいですが、もう少しわかりやすく言うと、
剣道では先に動かされた挙句に、相手に先に動かれた時に負ける。
先に相手を動かした上で、こちらが先に動けば勝てるということです。

相手を動かして、その動きの起こる兆しのところでこちらが動く。
機会を自ら相手に作り出して制する。ここを研究せねばなりません。

機先を制するとはそういうことです。

武蔵は三十五カ条兵法の中で、

かかる時の先は「身は懸かる身にして、足と心を中に残し、たるまず、はらず、
敵の心を動かし」て取ると教えています。

一方で、懸り来るときの先は「我身に心なくして、程近き時、心をはなし、
敵の動きに従い、其の儘」取ると教えています。

心を放すとは、頭で考えず、目だけで見ず、相手の動きに心を動かされないように
心を解き放っておいて、解き放った心の作用で相手の動きを捉え、
一瞬の機会を捉えて先を取るということです。

ガンダムでいうニュータイプのような状態です。
スターウォーズで言うフォースを使うジェダイの状態です(*^_^*)

互いに懸かりあう時は、身を強くして、太刀を正しくして、
とにかく先を取れと教えています。

ともあれ、自分なりの「懸」「待」について研究が必要です。
心と体の働きについて考えると、おぼろげにわかってくることがあります。

機先を制した後に勝ちを確定させるのが打突です。
相手を探る意図のある打突や勝ちを確定させる打突以外の
ただ当てているだけの無意味な打突は控え、意味のある打突を心がけましょう。

夏の稽古は体力的に厳しい環境で行われます。
このような時期は、機先を制する剣道を目指して取り組むことで
打突の質・剣道の質を高めることに取り組みましょう!

無理はいけません(*^_^*)

戸締り用心火の用心、一日一善。
健やかな精神は健やかな肉体に宿るのです!稽古しましょう!

それでは、また土曜日にお会いしましょう。


2005年07月21日

「三殺法」について


最近、稽古会が再び盛り上がってまいりました。
これもひとえに参加いただいている皆さんのおかげです。

ありがとうございます<(_ _)>

剣道の理合の源は天然自然の法則です。

春が着たら夏が来て、夏が着たら秋が来て、秋の次には冬が来る。
我らが稽古会もこの10年、春夏秋冬の理に沿って運営されています。

で、今は「春」。

これから夏、秋に向けてヒートアップしていきましょう!

【業務連絡】 川崎君!みんな待ってるよ〜♪

ところで、今回は、先週の稽古会の後の2部道場で佐野さんが
話されていた「三殺法について」です。

刀を殺し、業を殺し、気を殺す。

これが三殺法です。「三つの挫き」とも言います。

高野佐三郎範士の『剣道』によると・・・

「刀を殺す」とは、敵の刀を左右に押さえ、或いは払い落しなどして
自由に太刀を使用させないことをいう。

「業を殺す」とは、自分から鋭く撃ち懸け突き懸け、たとえ撃突が外れても、
気にせず奮進して敵に接近し、体当たりし、敵が防御一方になって、
技を出す余裕を持てない状態にすることをいう。

このようにされると、いかに気が猛々しく業が早い者であっても
その勢いに挫かれて業を出すことができないものだ。

この方法で勇敢に働いて、敵の起り頭を押さえて常に先に出る時には
敵は自分の勇気に恐れ、気を奪われ、はなはだ戦いやすくなる。

しかし、未熟なものがこれを試みれば、却って破綻を招くことがある。

修錬の効を積んだ上での工夫であることを忘れてはならない。

敵が打ち出す後を撃てば相撃となり、敵の働きに引廻されれば先を取られる。

なので、敵の打ち出す太刀を足で踏みつける心得でとっさに打ち返し、
先を取り、敵が二の太刀を打つことができないようにすることである。

これを『剣を踏む』という。

踏むといっても足で踏むのではない。
体で踏みつけ、心で踏みつけ我が太刀で踏みつける心得で
敵が再び撃ち出す事ができないようにすることである。

これもまた敵を挫くひとつの方法である。

と、三殺法と敵を挫く方法について大体このようなことが書かれています。

剣道では、何をおいても初太刀を打ち切ることが大切だと思います。

初太刀を打ち切る。言葉で言うのは簡単ですね・・・(^_^;)

打ち切ったところに残るものがあり、それが残心。
残心は残そうとして残すものでなく、捨てたところに残るもの。
先達はそのように教えています。

これを修得するのも一苦労ですが、その先はもっと大変です。

初太刀が決まらなければどうするか。

縁を切り、再び仕切りなおしではいけません。
(きついから、ついこれをやっちゃうんですよね・・・反省)

では、どうするのか。

一度太刀を撃ち出したら、勝負が決するまで、息をつがずに
同じ呼吸で二の太刀、三の太刀を繰り出すのです。

これが難しいですね。

高野範士が書いているように、下手をするとガチャガチャの
打ち合い剣道になってしまう恐れもあります。

二の太刀も初太刀のつもりで、三の太刀も初太刀のつもりで
いちいち初太刀のつもりで行く必要があります。

二の太刀、三の太刀がいわゆる初太刀と決定的に違うのは、
じっくりと攻める時間がないことです。

こちらの仕掛けで相手は動いています。
その動きの中に瞬時に打つべき機会を見出して太刀を繰り出す。
その一本一本が理にかなっていないといけないのです。
こりゃ本当に難しいですね。

技術の差があまりない相手や、格上の相手との立合いでは
一本技で勝負を決めるのは至難の業です。

格上の相手との立合いではなおのこと、
相打ちになったり、打ち返されたり、すり上げられたり・・・。

そのような時、残心で残った息を使って更にもう一太刀、
更にもう一太刀と太刀を繰り出していくために最も大切なもの、
それは『丹田を使った呼吸』です。

これを錬るのが稽古の本質だと(頭では)思います(^_^;)

懸り稽古や打ち込みで目指すべきはこの丹田呼吸法の修得です。

この修得を目標にすれば、稽古はいつもやり甲斐のあるものになるはず。
打った打たれたは自分の稽古の進み具合の指標に過ぎません。

私は、まず、打たれることを嫌がるのをやめ、
相手の太刀をよけるのをやめることからはじめました。

ちなみに足捌き、すりあげ、打ち返し、応じ返しなどは打突のプロセスであって、
よけているのではありません。念のため・・・。

三殺法を修得できるように、まずは初太刀を打ち切る稽古、次に
二の太刀、三の太刀を繰り出す稽古、そして、三殺法というような
段階的な目標を立てて丹田呼吸法の修得に取り組めば、
いずれ到達できると思います、思うかな・・・思うようにしましょう(+_+)

夏のこの時期にはかなりきついですが、呼吸法は健康法でもあります。
剣道は健やかな肉体と健やかな精神を作る素敵な修行です。

自分の体調と相談しつつ無理のない範囲で取り組みましょう!
無理はいけません。

戸締り用心火の用心、一日一善。
健やかな精神は健やかな肉体に宿るのです!稽古しましょう!

それでは、また土曜日にお会いしましょう。


2005年07月11日

「昇段審査」について


今回は、昇段審査についてです。

もともと、四段以上の昇段審査は、ブランクが1年以上空いた「復活系社会人剣士」にとっては非常に難しいものがありました。

私自身、四段の審査には3回不合格し、4回目でようやく合格しました。
不合格が続いている間も一生懸命稽古をしていたのでショックもひとしおでした。

この経験から学んだことがありましたのでここに少し書いてみようと思います。

三段までと四段以降は、明らかに求められるものの質が変わります。

四段の審査までブランク無く稽古を続けてこられた幸運な剣士の皆さんは、この時期、先生や先輩方から、「溜めて打て」、「闇雲に撃たず機会を考えろ」、「中心を外すな」、「間合いを考えろ」、という指導を自然に受け始めます。

それまでタイミングと身体能力だけで動物的に行ってきた直感的な剣道を卒業して、理論的な裏づけがあり、身体能力に依存しない、精度の高い剣道を目指す時期に入るのです。

ところが、三段を取得して四段に挑戦するまでの間に、多くの剣士は転機を迎えます。

剣道に対して求められる内容が高度になるこの大事な時期に、多くの人は生活環境が変わってしまい、ブランクが始まるのです。

それまで積み上げてきた賜物「直感型剣道スキル」が時間とともにくすんでいきます。

やがて剣道を再開する時には、タイミングと身体能力だけで動物的に行っていた、直感的な剣道自体が思うようにできなくなっています。

まずはここの回復を目指す必要が生じるのです。

そこで、何ヶ月か、或いは稽古環境によっては何年かかけて、ようやくイメージどおりに体が動くようになったなと感じる頃になると、「それじゃ駄目だ」と先生や先輩の指導が始まります。

指導するほうからすれば、「ようやくスタートラインにたどり着いたな」ということなのですが、
これで九分九厘混乱してしまうのです。

途中にブランクさえなければ、それほど深く考えなくてもスムーズに移り変わっていけたはずのステップを、ようやく取り戻した直感的剣道に固執してしまうために超えられなくなります。
取り戻したものを捨てるのは非常に難しいのです。

※この点、朝廣君が四段に取り組んだ時は立派だったなぁ・・・。

この状態を抜けるために効果的なことは、「考える剣道」を意識的にはじめることです。

といっても、竹刀を持って打ち合いをしている時に考えろということではありません。

(竹刀を持ったらむしろ無念無想を目指すべきです。)

四段以降の剣道は、「剣の理合」を体得する稽古になっている必要があります。
ただ打ち合いをして、当たったとか当てられたというだけではなくて、その稽古に取り組んで行った暁には、「剣の理合」が体得できるという「道」になっていなければならないのです。

実際に防具をつけて稽古をしている最中には考える時間はありませんから、いつ考えるかというと、稽古をしていない時に時間を作って考えるのです。

そうして事前に考えておいた理合を、稽古で実際に試すのです。
これは言うのは簡単ですが、中々難しい方法です。

何が難しいかというと、日頃の忙しい毎日の中で、剣道のことを考える時間を作ること自体が難しいのが現実です。

だからこそ、ブランクが空いてしまった剣士はこれをやるのが効果的です。

剣道は「理業一致の人格形成修行」です。
そこには、竹刀を持って行う部分だけでなく、理念や理合や、先達の言行録などといった「理」の世界があります。

三段までに積み上げ、慣れ親しんだ、剣(竹刀)を構えて相手と向き合って行う「業」の修行に「理」の修養を取り入れていくことで、より高度な剣道修行の世界に入っていけるのではないかと思います。

また、四段以降では、指導者としての自分の在り方を考えなければならなくなります。


「自分は人に剣道を指導する気は無い」と思われるかもしれません。
しかし、道場で人前で剣道をする以上、これは避けて通れない部分です。

口で指導をすることこそ無くても、日頃剣道に取り組む姿を後輩が見る時に、自分の意思とは無関係に見取り稽古の対象になってしまいます。

指導者というよりは、人に影響を与えてしまうという方がしっくりくるかもしれません。

皆さんの稽古の姿を後輩が見習っても大丈夫か。
これについては、「技術」よりも「取り組む姿勢」のほうが大事な気がします。

あなたが四段であれば高校生以下の人たちは参考にしようとするでしょう。
あなたが五段であれば社会人剣士をはじめ、多くの剣士の方が参考にしようとされるでしょう。

五段の私はいつも六段以上の先輩の稽古から何かを得ようと真剣に見取り稽古をしています。

こんなことを考えるようになったのは四段の審査に何度も不合格になったおかげです。

合格するまでの間、思うように稽古ができていなかったら、もしかしたら、稽古不足を言い訳にしていたかもしれません。

稽古をしても合格できなかった時に、ようやくアホな私は気がついたのです。

稽古の回数が多ければ修行が進むわけではない。

逆に、「理業一致」の意味がわかれば、稽古の時間をふんだんに取れる剣士にも負けないくらいの剣道を身につけられる可能性がある。

皆さんも、「理業一致の剣道」を目指して、一緒にがんばりましょう!
これなら竹刀を握れない時にも取り組めます!


2005年07月06日

全日本選手権福岡予選会番外編


久しぶりに秒殺された在津はあまりの出来事に呆然・・・。

そういえば、稽古会を始めたばかりの頃は、試合に出場しても
結構秒殺されることが多かったなぁ・・・と思い出に耽ってみたりして。

でも、最近はここまで寸殺されることはなかったのです。
で、対戦相手の吉川さんの次の試合も見学しました。
相手は福岡県警の峰松さん。

う!すげぇ!相手が誰だろうと開始の声と同時に攻めまくっている!

そんな吉川さんの姿に、はっと気がつくものがありました。

『気迫』といいますか、『気合』といいますか、とにかく
攻めて攻めて攻めつづける迫力がみなぎっている。

で、その攻めの気迫にだんだん押されて・・・結局、県警の峰松さんも
破っちゃった。

そんな試合振りを見ていて、彼に敗れることは、技の前に心で敗れることを
意味するんだなと感じました。

で、その試合を見ていて心に期したのです。

こんな相手にこそ、負けちゃいけない!
技で負けることはあっても心では負けたくない。

とにかく稽古を積んで、心で負けない剣道を目指すぞ!

試合は勝負を決することだけが目的では無いと思って参加しています。
もちろん、試合をするからには勝ちを目指しています。
だからといって、何をしてでも勝てばいいのかというと違うと思っています。
正面から向かって勝負する中に勝ち負けがあり、
勝っても負けても、その試合の中に何かしら自分に足りないものを見る気がします。

というわけで、試合に出場することは、自分に足りないものを
自覚できる場という意味で、大変意義深いことだと思います。

自分にできる精一杯の正しい剣道で向かっていって勝つ。
これを目指して日々精進すべしですね。

まだまだ積極的に試合に出るぞ。と心に誓う在津でした。

みなさんも試合に出場しませんか?

では。ごきげんよう!