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2006年01月20日

山岡鉄舟の「剣禅夜話」から


今回は、私が最近読んだ「山岡鉄舟 剣禅話 高野澄編訳」という本に
興味深い話がありましたのでご紹介したいと思います。

山岡鉄舟が明治13年の4月に書いた「剣と禅理」の中に
商人の話がきっかけで悟りにいたるというくだりが出てきます。

本当は原文をそのままご紹介するのがよいのだと思いますが、
ここでは要旨だけご紹介します。

ある日、山岡鉄舟のもとに、書が欲しいと一人の豪商が訪ねてきた。
彼が自分の経歴を語った中に、次のような興味深い話があった。

世の中は不思議なもので、とても貧しい家に生まれた自分が
今では巨万の富といっていいようなものを手に入れることができた。
これは、思いのほかのことといえるのだが、
ひとつだけ自分の若い頃の経験で貴重に思っていることがある。

あるとき、まとまったお金ができて商品を仕入れた。
ところが、すぐに物価が下がり気味だという評判が立った。
そこで、早く売り払ってしまいたいものだと思っていると
知人たちがその弱みに付け込んで安く買い叩こうとかかってくる。
だものだから、自分の胸はどきどきしてしまい、
気持ちも浮き足立ってあれやこれや迷ってしまい、
本当の物価の事情を知ることもできないほどになってしまった。

そこで、すっぱり決心を固め、どうにでもなれと放っておいた。

するとそのうちに、今度は商人たちが原価の1割高で買うと言ってきた。
そこで売ってしまえばよかったのだが、今度は欲が出てきて
もっと高く、もっと高くと思っているうちに、今度はさらに状況が変わり、
結局最後は原価より2割以上も低い値段で売ることになってしまった。

自分が商いの気合というものを知ったのはこのときが初めてだった。

思い切って大きな商売をやってやろうというときに
勝ち負けや損得にびくびくしていては商売にならぬものだとわかったのだ。

つまり、これは必ず儲かるぞと思ってしまうと、どきどきするし、
損をするのじゃないかなと思うと、自分の体が縮むような気分になる。
そこで、こんなことで心配しているようでは
とても大事業なんかできっこないのだと思い直した。

それからというものは、たとえどんなことを計画するにしても
まず自分の心がしっかりしている時にとくと思いを定めておき
いざ仕事にとりかかったときには、あれこれ一切考えないようにして
どしどし実行することにしてきた。

その後は、損得は別にして、まずは一人前の商人になれたものと思って
今日までやってきている。

鉄舟はこのころ、剣の極地を悟る、そのすぐ手前に達しながら、
過去何度立ち会っても自分の力量で、はるかに及ばないと感じてしまう
浅利又八郎という剣豪の幻影に打ち勝てずにいた。
そのため剣に開眼できずに苦しんでいた。

そこで、禅の師匠から

両刃、鉾を交えて避くるをもちいず、好手還りて火裏の蓮に同じ。
宛然おのずから衝天の気あり。

という有名な火裏の蓮(かりのれん)の公案に取り組むようにいわれた。

この公案に取り組んで思ったところと、商人のはなしで感得したところを
翌日から剣法の実際に試し、夜になると沈思精孝するということを繰り返した。

5日目の夜

いつものとおりに呼吸を集中していると、
天地の間には何物もないのだという心境になっている
自分の存在が感じられてきた。

既に翌朝になっていたが、座ったまま、
浅利又八郎に向かって剣を振り、試合をしている姿勢をとってみた。

すると、いつもはそこで、鉄舟の剣の前に山のように立ちはだかり
とても打つことがかなわぬように思えた浅利の幻影が今は見えない。

ここに、鉄舟はついに無敵の境地に至った。

と、下手なりに要約すればこのような内容でした。

もちろん、私などは、とてもとても鉄舟のレベルには及びませんが、
この商人のはなしには感じるところがありました。

九州松下を退職してこの10年、色々な困難がありましたが、
いつも剣道が私を支えてくれるように感じていた理由が
この話しの中にあるように思えます。

剣という本来は殺傷道具でありどちらかというと野蛮なものを通じて
心を修め、人間形成を図るという、日本独自の伝統文化である剣道。

最近では韓国が剣道のルーツは韓国だなどといっているようですが
剣道は競技性だけで剣道足りえるような薄いものではありません。

その競技性もさることながら、精神性の高さが剣道の価値だと思います。
奢ることなく無敵を悟る。
そんな尊敬に値する先人が数多くいるのもすばらしいことです。
剣道の奥深さを、少しでも多く味わえればいいなと思います。

今年もよろしくお願いしますm(__)m


2006年01月05日

稽古の質を高めるには・・・


昨年、「剣技50種」を紹介しました。

剣道に取り組んでいれば、50種といわないまでも、
日頃から色々な技の稽古を行います。

ですが、そもそも何のために技の稽古をするでのしょうか。
繰り返し稽古をして、技の精度を高めるため。といった感じでしょうか。

色々な先生の書物を読んでいると、技に関して目指すべきイメージは、

適切な攻めで機会を作り出し、作り出した機会に適切な技を選択し、
適切に機会を捉えて、適切な太刀筋で、適切に技を施せるようになること。

これら一連の流れを、いちいち頭で考えなくてもやれるようになる。
といった感じでしょうか。

とてもとても遠い道のりですが、このような境地に向かって進んでいく過程で
まず最初に必要な取り組み、「はじめの一歩」とは何でしょうか?

それは、「考えて稽古する。」ことを始めることでしょう。
もう少し具体的にいうと、「観る」努力を取り入れることです。

「観る」にあたっては、「観察」というように「観て察すること」が大事です。
むしろ、察するために観るのです。

観て、察して、選んで、施す。施したら結果が出ます。
そこで、この結果を評価して、察し方を調整していきます。
この繰り返しを行えば、「観て察するプロセス」の精度が上がります。

「観て察するプロセス」を工夫する取り組みを飛ばした稽古を取り入れると
数少ない稽古でも、進歩の仕方が格段に違ってきます。

これに対して、時間をかけてじっくり取り組む方法もあります。

この方法でも、正しい取り組みと十分な時間があれば必ず上達します。
子供たちの剣道がいい例です。
この方法では、正しい指導者と、十分な時間の両方を必要とします。

剣道では、基本的には試行錯誤の繰り返ししかないので、
剣道に取り組むことができる時間に限りのある実業剣士にとって
「十分な時間」を剣道に当てることは何よりも困難です。
人によっては、「正しい指導者」と出会えないケースもあります。

そこで、肝心なのは、「考えて取り組むこと」に尽きると思います。
時間が限られたものが進化するには、工夫が必要です。

では、どんな風に考えていけばよいでしょうか。

構えの種類には「上段」「中段」「下段」などが出てきます。
「上段」「中段」は普通に見られる構えなのでイメージが湧きやすいと思います。
では、「下段」はどうでしょうか?

日頃の剣道では「下段」は見られない、という方もいるかもしれません。
しかし、実際には下段は頻繁に見られます。
よく観察していると下段にとる人がいることがわかります。

例えば、この「下段から攻めてくる相手」に対して、
いかに立ち向かうべきかについて考えて見ましょう。

実際、「中段」の構えの相手に対して、「中段」と「下段」の組み合わせで
立ち合う剣士は結構多いのです。

スッと剣先を下げて、こちらの小手の辺りを攻めながら
間合いをつめてくる相手と対したことはありませんか?
剣道形に出てくるような極端な下段ではありませんが、これが下段です。

このような相手に対してどう立ち合うか・・・。

はじめのうちはいいようにやられます。
そこでやられる自分を観察しながら考えていきます。
どうしてやられるのか、どうすればやられないか・・・。

観察していると、「下段」から攻めてくる相手の場合、
大抵は、触刃の間の辺りから剣先を下げて来ます。

これをやられると、中段に構えた側は、相手との間合が掴み辛くなります。
強引に面に行くには相手の剣先が気になって踏み込みづらくも感じます。

そもそも下段が中段に強い構えだというのは
この辺りの間合いの取りにくさの部分から来ているのだと思います。

さらに、この状態からじりじりと間合を詰められると、
中段で同じように間合いをつめられる場合よりも
相手の攻めを強めに感じてしまったりします。

自分の打ち間がよくわからないため、切迫した気分になります。

下段の構えをとった側は、大抵はこちらの小手の辺りを攻めてきます。
攻められた側は、気分的にそれを嫌って、相手の剣先にナーバスになり、
自分の剣先を相手の剣先の動きに合わせて下げようとしてしまいがちです。

ここでやられます。

下段の側はそこが狙いですから、相手が小手を攻められるのを嫌って剣先を下げようとする、その「下げはじめ」にあわせて捨てて面に伸びてきます。
下がっていく剣先は飛び込む側からすると怖くないのです。

中段の側は、下げ始めた剣先を上げるため、一瞬の停止状態が生まれます。
その「一瞬」で勝負は決します。

ほとんどの場合、こちらが剣先を下げたくなる直前に
相手は、すでに相手の打ち間の直前まで攻め込んできていますから、
これでは相手の間合での勝負になり、完全に面に乗られてしまいます。

では、このような攻めに対してどのように立ち向かうべきでしょうか?
少し考えて見ましょう。

(「こうすべきだ」的な内容ではないので誤解しないでくださいね。)

まずひとつ考えられるのは、相手の動きの先をとることです。

相手が剣先を下げるタイミング(拍子)を予測できるような場合には、
剣先を下げようとする相手の太刀の下がり端を捉えて
相手の太刀に乗ってそのまま面を打つという攻めが考えられます。

この場合、相手が剣先を下げて「下段」が完成した状態で面を撃って行くと
相手は万全の体制からこちらの起こりの小手を撃とうと手を伸ばしてきますから
用意ドンの撃ちあいになって、結果的に「早い方が勝つ」スピード勝負になります。

スピードに自信がなければ、それを避ける方策として、
少し大きめに振り被ることで相手の小手を抜く形にすることも考えられます。

もっと根本的に解決しようと思えば、相手が剣先を下げ始めるその時に、
その剣先が「下段」まで下がるかどうかとは関係なく、
相手の太刀の上を渡って面に行く攻めをとることが考えられます。

こうすると、相手は下げようとした剣先を上げるために
逆に相手に一瞬の停止状態が生まれるので
通常の面撃ちで十分相手の面を捉えることができます。

これは、剣先を上下にリズムを取って振るクセがある相手にも効果があります。
ただし、この場合、相手の剣先が下がり始める時点では、
まだ若干間合が遠めです。

ですので、かなり思い切って大きく一歩踏み込んで行かなければ
自分の打ち間に入ることができません。つまり間合の読みが重要になります。

遠間から思い切って打ち間に入って面を打つような稽古をしておかないと
相手を十分に捉えるのは難しいでしょう。

ただし、これを試みることで、相手は剣先を下げにくくなります。
剣先を上下するクセがある相手の場合、この攻めを行うことで、
リズム(拍子)が乱れる可能性があります。

また、相手が下段に取ることがあらかじめ分かっている場合には、
相手が剣先を下げ始めるその時に、半足長ほど右足で間合を詰めます。
相手は剣先が下に向かおうとしている時に攻められるので
思わず打突を受けるため剣先を慌ててあげようとします。
多くの場合は面をかばって剣先を必要以上に高く上げるため、
つられて手元が上がりますので、残りの半足長をそのまま踏み込んで
相手の小手を撃つような攻めが考えられれます。
これなら、遠い間合からでも十分に相手の小手を捉えられます。

ただし、これは、剣先を上下に振る程度に小さく剣先を下げたような場合には
すぐに相手の剣先が戻ってきて応じられてしまうので効果がありません。
が、それでも相手が下段を取るかどうかの使者太刀にはなるでしょう。

これらの攻めを組み合わせて対した場合、
相手は下段を取りにくくなり、やりにくく感じたり、「迷い」が生じやすくなります。
最後はその「迷い」を捉え、剣先が止まった一瞬に、剣先で相手の中心を割って面に飛び込みます。

まぁ、こんなことをちょっとした時間に考えながら
色々な相手とシミュレーションしてみるのも楽しいものです。

先日、久しぶりに市川君(春日高校→早稲田大)と立ち合う機会がありました。

彼は昨年10月に道場対抗剣道大会で如水館の大将として出場し、
準決勝で、全日本選手権を控えた一歳下の鍋山擁する今宿と対戦。
大将戦で鍋山を撃破して今宿を破りました。
決勝戦でも大将戦を制して、チームを優勝に導きました。

彼自身、もともとは春日高校時代にインターハイ個人優勝をしたので
地元では有名な実力者ですが、その剣道も評判どおり、
いつも見ていて気持ちのいい面を連発して、とても勉強になります。

彼の面はプロ野球で言うなら松坂の150キロ台のストレートのような感じですね。
真似して簡単に投げられる様になる代物ではなさそうです。

そんな彼をイメージしながら、上記のようなシミュレーションで対戦し、
結果を反省して、またシミュレーションをする。
そして、次に立ち合う時に、どうやれば一矢報いることができるかということを
黙々と研究実践するのも剣道の楽しみ方のひとつでしょうか。

イメージ通りに体が動いて、場を支配して、会心の一本を決める爽快感・・・
これが、つらく厳しい剣道で唯一の楽しみかなと感じる今日この頃です。

時間が限られた者同士、稽古の質をあげてがんばりましょう!