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2006年10月19日

『剣道の法則』 体育とスポーツ出版社


剣道の法則
剣道の法則
posted with amazlet on 06.10.19
堀篭 敬蔵
体育とスポーツ出版社
売り上げランキング: 279,665

以下は九州松下剣友会で日ごろからお世話になっている宮城県出身の佐野さんに頂いた堀篭範士の書が入った手ぬぐいです。

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この本は、その佐野さんの師匠である堀篭敬蔵剣道範士九段の著書です。

2003年に佐野さんから剣友会のメンバーに向けて、この本をすすめる旨のメールが発信された際に私も購入して読ませていただきました。
当時ちょうど、「剣道においては事理一致の修行が大切だ」との考えに触れる機会が増えていた私にとって、では剣の理法について学ぶには具体的にどうしたらよいのかということは切実な問題でした。
これと言ったよい方法も見えず、もんもんと悩んでいた時期でした。
ですので、この本との出会いは、まさに「渡りに舟」に感じたことを覚えています。

本の中で堀篭範士も触れられていますが、現代では剣道の専門家でない限り、剣の「理」を専門書から学ぶ機会はなく、かといって口伝してくれる師匠にめぐり合うこともかなわず、剣の理法を習得することが非常に難しくなってきています。
「剣道の法則」と銘打って、奥深い剣の哲理に関する多くのエッセンスを、誰もが理解しやすい平易な文体でつまびらかにしてくれているこの本は、そんな現代の剣道事情において貴重かつ必読の一冊であることに疑いの余地がないでしょう。

自分の技量に応じた剣の哲理を身に付けたいと願う剣士や、昇段審査の際の学科試験のあり方に疑問を感じる剣士にとっては、本当に参考になる一冊であると思います。

工夫のない稽古から得られるものが少ないことに気づく剣士が少ないことは悲しい事実ですが、幸運にもそのことに気づいたとして、実際に工夫をしようと試みた時に、工夫の取っ掛かりそのものが得られず苦しむ羽目に陥る剣士が多いのもまた事実のようです。私が実際それでした。

この本を通じて、道場の外で剣の理法を研究し、そこで得られた自分なりの理解を、今度は日々の道場での稽古における「事」の修行の中で試すことができる。

私の稽古の質はこの本との出会いで画期的に向上しました。
この本に著されている内容を礎にして日々の稽古でたゆまず工夫するならば大いなる収穫が得られること請け合いでしょう。

著書の中に以下のような一文があります。

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剣道の修行を通して人間としての道を学ぶ。人間の道とは何かと言えば「当たり前のことを当たり前にする。」ことである。これは「言うは易く行なうは難し」ことではあるが、人間としてもっとも大切なことである。

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かつて剣術修行者にとって当たり前であったことの中には、現代ではすでに当たり前でないことも沢山あるでしょう。「確かな師匠を得にくいこと」がその典型的なひとつであると思います。
目の前に正師を置いて日々の修行に取り組めるのであればこのような書物は不要かもしれません。
が、そうでないならばこの本を座右に置いて、この本を師匠と思い、そこに述べられている一字一句を咀嚼して稽古すると良いと思います。ぜひお試しください。


2006年10月18日

「剣士諸君!」への想い


私は福岡県太宰府市の出身です。
小学2年生の頃に竹刀を握ってから紆余曲折を経て、現在剣道八段範士を目指して剣道修行しています。
このように書くとどれほどの腕前なんだろうと思われるかもしれませんが、平成18年10月時点で38歳、剣道五段です。経験者であればすぐにわかることですが、この年齢でこの段位であると言うことは、いたって凡庸な剣士である証です。同世代の秀でた仲間たちはすでに七段を視野に入れています。
このサイトの記事は、もしかしたら剣道の腕に覚えのある先生方の失笑を買うかもしれません。けれど、敢えて私は「剣道八段範士を目指している」と公言しています。なぜならば、剣道に限らず、一度きりの人生を行きぬく上でもっとも大切なことは、何かを目指して行動をおこすこと、真剣に取り組むこと、そして最後の最後まであきらめずやりぬくことだと思うからです。

現在の私の願いは、剣道と実学の「文武両道の精神」を通じて、次の世代の日本ひいては国際社会をリードできる人づくりを実践する活動に取り組むことができる立場の人間になることです。そのために私は実業を極めると同時に剣道を極めたい。そしてこのすばらしい剣道の文化的エッセンスと、「世のため人のため」を実践する実業の経済的エッセンスとをベースにした「文武両道の精神」を醸成し、それを余すところなく次の世代に伝えたい。
剣道は本当にすばらしい日本の伝統文化だと思います。明日の世界を支える一人でも多くの方々に、日本の伝統文化としての剣道の世界に触れて欲しいと思います。
そのためには、まず率先して自ら剣の道に取り組み、剣の道を歩み、最高峰を目指し、その道程をありのままに記録して行くことだと考えました。
そもそもは、剣道四段を目指していた1998年2月に、中々昇段できない苦しみに直面したことが発端になって、自分の剣道の記録をつけるようになったことが始まりでした。当時は強くなりたいという単純な願いだけで剣道に取り組んでいました。
当時のノートに書かれている内容は、読み返すとどれも顔から火が出そうなほど幼稚で恥ずかしいものばかりでした。わかった気になって書いているもの、不遜な態度が表れているもの、意味を取り違えているものなどなど・・・。ですが、同時に誰もがはじめから全てをわかっているわけではないこと、真剣に取り組んでいれば後々気づくこともあること、試行錯誤の先にだけ光明が見出されるのだと言うこともまた、そのノートから感じ取ることができました。
これこそが「道」である所以のような気がして、今後も、あえてその時その時に考えたこと思ったことをありのままに記録しようと決意したのがきっかけです。
最近記述した内容も、後から読み返せば恥ずかしく思えるかもしれません。逆にそうなければならないとも思います。私の成長の度合いによっては、いつまでたっても稚拙な考えのまま進歩がないかもしれません。そのことの方が恐ろしかったりするのです。全ては自分次第。
最終的に剣道範士になれるかどうか自体、実はそれほど大きな問題ではないと考えてもいるのです。「剣道八段範士」」は、現在の剣道界で目指して到達できる最高峰です。私のような凡庸な剣士が「生涯剣道」に取り組むということは、生涯たどり着けるあてのない「剣道八段範士」を目指して修行を続けることを意味するのだと考えていますし、それが自然なことだと思います。たどり着けるかどうかではなく、目指しているかどうかが問題だと思うのです。
遠くにそびえる最高峰に向かって一歩一歩悩みながら、迷いながら、苦しみながら進んで行くその時その時に、いったいどんなことを考え、どんなことを感じ、どんな取り組みをしたのか。それらをありのままに記録すること自体に意味があるような気がしているのです。とはいえ、人がひとりでなしうるものなど本当にちっぽけなものです。できればここに書かれた内容に対するみなさんの忌憚ないご意見などをお聞かせいただければ幸いです。