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打突のメカニズム


今年で剣道に取り組み始めて29年、来年2006年秋には、なんと、あしかけ30年になる。
30年と言えばひとつの区切りである。そんな区切りの年を目前にして、未だ剣の操作に関する悩みは尽きない。
この10年間は、「気剣体の一致した打突を行えるようになる。」という目標のもと、「気合を発する瞬間、剣先が打突部を捉える瞬間、右足が踏込む瞬間の3つの瞬間を一致させた打突を行うことが「気剣体の一致した打突」の意味である」と言う仮説をたて、ただひたすらに、「気剣体の一致した打突」を目指して取り組んできた。が、その実現も儘ならぬ3年ほど前から、「一拍子の打ち」なる新たな難問に直面し、悩みは深まる一方となった。
そこで、解決の糸口を探して、色々な文献、口伝、読み物、先生方の講話などを求めてみた結果、ひとつの仮説を新たに立て、この30年間の節目の最後の期間における修行課題とすることにした。

【課題】

従来から問題であった「気剣体の一致した打突」を実現するにあたり、「気合を発する瞬間、剣先が打突部を捉える瞬間、右足が踏込む瞬間の3つの瞬間を一致させた打突を行うことが「気剣体の一致した打突」である」と言う拙い仮説のもとで取り組んできたが、充分納得がいく成果にたどり着けていない。

そこに新たな問題として、「一拍子の打ち」という課題が生じた。

この要素を取り入れて、「気剣体の一致した打突を一拍子で行う」という発展的な課題に取り組む必要性に直面するにあたって、ますます従来の考え方では解決できないとの思いが強くなった。

さしたる指針も無いまま取り組んだこの3年間の体験から考察すると、打突動作が「振り上げる→振り下ろす」というふたつの動作から成り立つと考えた場合、「振り下ろす」動作の方に意識のウェイトを置いて振り上げる動作を切り離せば、擬似的な一拍子で、従来の考え方の「気剣体の一致」を果たしながら打突部を捉えることができる。

が、「振り上げ・振り下ろし、ふたつの動きを一拍子で行え」といわれた場合、「振り上げる」動作だけを切り離すことはできず、「振り上げる」時点から意識して体をコントロールする必要がある。

実際には無意識に頭が「振り上げる→振り下ろす」と2種類の動作を考えてしまうため、振り上げからでは、どうしてもニ拍子の打ちになってしまう。

ここにいたって、打突動作の定義自体を改める必要を感じはじめたが、そうした「打突動作を全て一拍子で行う」際の体の運用に対して、統一した明確なイメージはわかない。

そのため、稽古に取り組めば取り組むほど、「足運び」と「剣運び」というふたつの動作を一度にコントロールしようとして頭が混乱し、「気・剣」と「体」が空中分解する、いわゆる「手打ち状態」に陥るという悪弊が生まれ、解決どころか、全てが悪い方向へと向かっているのを感じるにいたった。

【取り組みの糸口】

この状態を乗り越えるべく、色々と文献や資料を当たってみた結果、森田文十郎範士の「腰と丹田で行う剣道」にある「剣の完全操作」と言う考え方にたどり着いた。

そこで、範士の考え方をベースに、色々な文献を参考にして、「一拍子の打ちの体運用メカニズム」を自分なりにイメージした上で、新しい打突のメカニズムについて考えてみることにする。

【仮説】一拍子に打突するための体の運用そのものが気剣体の一致の意味するところである。

もしも、この仮説が正しければ、「打突を一拍子で行うための体運用メカニズム」を体得することが、そのまま「気剣体の一致した打突を実現する」ことに直結するはずである。

【一拍子の打ちの体運用メカニズム】

「腰と丹田で行う剣道 森田文十郎範士著」を参考にして自分なりに考えてみた一拍子の打ちの体運用メカニズムはおおむね下記のようなものである。

左脚を蹴る(正確にはぴょんと蹴るのではなく、左右の足の膝で体重を抜くと同時に左足の湧泉の辺りを踏んで重心を前に移動させる初動を起こす)ことによって生じた初動エネルギーを、体の対角線部位を順番に機能させつつ、体の直線運動(歩く動き)と回転運動(下半身を使って上半身を動かす)をうまく連携させながら伝達していき、最終的に打突の瞬間に剣先にエネルギーを集約させつつ、そのエネルギーをどこにも逃がさず剣先から回収し、必要であれば、初動のエネルギーだけで、何度でも繰り返し一拍子の打ちを繰り出すことができるイメージで体と剣を運用する。

※縦の並びが一緒のところで連携している。

左腰回転→左腕前出→左拳押し
→→→→→右腰回転→右腕前出→右拳押し→残心
→→→→→→→→→→→→→→→左脚出し→左足引付→次の始動
→→→→→→→→→→左腕引き→左拳引き→残心
→→→→→右脚前出→右脚引き→右足踏込→次の捌き
→→→→→→→→→→→→→→→手の内 →残心
→→→→→→→→→→→→→→→気合掛声→残心

2007年9月現在では少し発展して下記のように考えています・・・(*^_^*)

左拇指丘踏込→左腰回転→左拳始動→→→→→→打突→→→打ち切り
→→→→→→→→→→→→右腰回転→右腕前出→打突→→→右拳押し
→→→→→→→→→→→→→→→→→左脚出し→→→→→→左足引付→次の始動→残心
→→→→→→→→→→→→→→→→→左腕引き→打突→→→左拳引き→→→→→→残心
→→→→→→→→→→→→右脚送出→右脚引き→右足踏込→→→→→→次の捌き→残心
→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→気合掛声→→→→→→→→→→→残心

右足の踏み込みと打突と掛け声を一致させた後に、さらに左足を引き付けながら左右の拳を押し引きして、打突部位より更に深いところまで切り下ろすことで打ち切ります。

左脚が蹴ることで腰が右に回転を開始し、同時に左腕・左拳が前に出はじめる。
この動きが初動となり、体に打突のためのエネルギーが供給される。
次に、右に回転した腰が反動で左に回転する動きに呼応して右脚が前に出はじめる。
ここまでをほとんど同時に行うことで、剣道の打突の動きに特有な「右脚と右腕と左腕の3部位がほとんど同時に前に出る形」が無理なく現出する。

前に出ようとした右脚にバランスするために、呼応して左腕が更に前に出て、極点まで左拳が前に出る。極点を過ぎると右脚は下がり始め、左腕も呼応して下がろうとし、左拳も引き始める。
その時体の反対側では、腰の左回転に呼応して右腕・右拳が前に出て、この動きにつられた左脚は、前に出るエネルギーを蓄えはじめ、やがて右脚が引き気味に踏込んだ瞬間に左脚は前に出始める。

この時、右足を踏み込むと同時に相手の打突部位を剣先が捉えると、そのまま左足をひきつけながら、左拳は引き手、右拳は押し手となってさらに深く切り下ろす。この点に気合と手の内を集約することによって打ち切ることができ、左足のひきつけ完了と同時に再び拇指丘を踏んで右足を前に送り出しつつ打ち抜ける。こうして最後に振り返って残心を示した時、ここに気剣体の一致した一拍子の打突が完成する。

一瞬の打突点を過ぎると初太刀が決まらなかった場合には、すぐに左脚は自然に前に出て、特に意識せずともこれが左足の引きつけを呼ぶ。左足の引きつけ完了とともに、両方の拳は押す力・引く力から解放され、自由になり、右脚は前に出る力を保ち続け、引きつけた左足を起点に腰を右回転させれば、続けてこの運動のスタートに戻ることができる。

後は、歩く動きと同様に、特に新しいエネルギーは必要なく、初動のエネルギーを逃がさずに同一の運動を繰り返す。こうして、初動で与えたエネルギーをどこにも逃がすことなく一拍子の打ちが必要なだけ続いていく。

上記メカニズムを想定すると、上図に示されるように、右拳の押し・左脚の引きつけ・左拳の引き・右足の踏込みが一致する点があることがわかる。気剣体の一致はまさにこの点で実現するべきものであると思われる。この点を「気剣体一致の打突点」と呼ぶことにする。

気剣体一致した打突が「気剣体一致の打突点で行われる打突である」と考えるなら、上記の体の運用メカニズムの体得の中に、気剣体の一致した一拍子の打突の答えがあると思われる。

剣道への取り組み30周年を迎える2006年の10月までに、この「気剣体の一致した一拍子の打ち」への取り組みが一応の成果を生むところまで根気強く鍛錬を続けたいと思う。


コメント

はじめまして、森田先生の著書について調べていましたら、こちらにたどりつきました。私は剣でなく拳を修行しておりますが、拳はもともと剣の身体操作からきていますので一緒だとおもいます。

思うに、打突のエネルギーは、「左脚を蹴ることによって生じる」のではないと思います。それをしているかぎり、丹田の意義がありません。
力は丹田が起点にならなければ、加齢と技量が右上がりにならないと思います。

ご指摘の通り、打突のエネルギーを生じる源はあくまでも丹田です。

このエントリーの記述は、森田範士の剣の完全操作の考え方をヒントにして、「体の運用部分」に関してのみ言及していたので、肝心の「エネルギーの源」については触れていませんでした。

このままでは、確かに「左足の蹴り」を打突のエネルギーにするような印象ですね(^_^;)

近日中に書き足したいと思います。

書き足すまでの間、この場を借りて補足を少々・・・。

上述の通り、ここでは前提として「左足の蹴り」は、丹田に生じたエネルギーを物理的な体の動きに変える最初の動作にすぎないと言う認識があります。

実際、丹田にためた「気」をエネルギー源に使って体を動かすとしても、まず体のどこか見える部位が初動をおこすことは間違いないことです。

その「目に見える初動」が、腕の振り上げや右足の前進ではなく、或いは複数個所が同時に動き出すということでもなく、「左足の蹴り」一点であると言う意味です。

ここにひとつの森田理論の意義があると考えています。
手と足を同時に動かすと言った複雑なイメージではないのです。順番に体の一部だけを動かしてつないでいくイメージになります。

ですので、「左足の蹴り」で生ずるエネルギーを打突のメカニズムのエネルギー源にするという意味ではありません・・・「左足の蹴り」出しで生まれるエネルギーだけに頼っていては、ご指摘の通り年齢の若い者、筋力があるもの、体力があるものがいつも勝つ味気ないものになってしまいます。ただ、「体の運用」部分を実践するだけなら「左足の蹴り」で生じるエネルギーを使うだけでも可能だとも考えています。要は習得のステップの問題であると。

そういうわけですので、ここでは森田範士の考え方をヒントにして、「左足の蹴り」以降のメカニズムを考察してみているに過ぎません。「気」のエネルギーが物理的なエネルギーに変換されて体を伝わっていく部分に関しては考察されていません。あくまで「体の運用の仕組み」部分についてのみです。

気持ちの力(呼吸の力でもある)を使って丹田に生み出す「気」、それをさらに丹田で十分に練りあげて「気」のエネルギーとし、それを実際に体を動かすエネルギー源に使う。

もちろん、森田理論の本当の意味での醍醐味はここにあると私も考えています。ただ、これは「体の運用」よりも次元の高い取り組みになるとも思えたために、昨年の段階では「体の運用の仕組み」部分から実践を始めようと考えた次第です。

「気」のエネルギーを体の動きの初動エネルギーに変換する具体的な機構として「左足の蹴り」から始まるというイメージであるならば、まずは「左足の蹴り」以降の、剣の完全操作のメカニズムの「体の動き部分」を実践する取り組みを始めて、しかる後に、エネルギー源の切り替えに取り組むという段階を踏むことができると考えています。その取り組みも、ほぼ1年が経過しました。

私自身、これからちょうど「左足の蹴り」で生ずるエネルギーではなく、丹田にためた「気」のエネルギーを直接的なエネルギー源にして、上記のメカニズムを稼動させるという剣の完全操作の本質部分を実践する取り組みに移る段階までたどり着くことができたと考えています。

次の段階として、丹田に生じた「気」のエネルギーを、程よく伸ばした左足の膕(ひかがみ:ひざの裏の部分)辺りを通して左足に伝え、「静」の間は踵(かかと)に逃がし、いざ打ちかかる「動」への転換時には、左足親指の付け根部分に一気に伝え、そこを踏み出すことで起きる「左足の蹴り」を起点にして打突のメカニズムを稼動する。

これを実践できると、体が「静」の状態でも、実は全身に「気」のエネルギーがみなぎっているという点で「止(死)」とは異なると言えそうで、その結果に期待しています。

精神活動によって丹田に生み出される「気」のエネルギー、これを使って、「左足の蹴り」という初動を起点に打突メカニズムが動き出し、「気」のエネルギーが物理的なエネルギーに変わって全身に伝えられていく・・・という森田範士の考え方は1年が経過した今でも非常に興味深く、「膕(ひかがみ)を伸ばす」「踵(かかと)で呼吸をする」などという教えにも通じるところを感じます。

このようなとても大切なところを、誤解を与えかねない拙い表記としてしまった未熟さを反省しながら、念のためもう一度該当部分を精読してみることにいたします。

有意義なコメントをありがとうございました。

大変ご丁寧に返信していただき、恐縮しております。物の言い方がぶっきらぼうで、ご気分悪くされたかもしれません。申し訳ありませんでした。

ところで、ご存知だとはおもいますが、剣道家にして歯科医の西村雅興先生のサイトにある剣道掲示板は、非常に勉強になります。たくさんの気付きをいただきました。ご参考までに↓

http://www.okichan.com/

>武術修行者様

ご紹介いただいたウェブサイト、恥ずかしながら不勉強で存じ上げませんでした。
そこで、早速訪問させていただきました。

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打ち勝って段を取るのが五段まで。
攻め勝って打ち勝つのが六段なら、打たせて取るのが七段。

(出典:西村正興先生のウェブサイトより)

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との記述があり、ちょうど今の私にとって参考になりました。

他にも色々と示唆にとんだ内容があり、いずれも大変勉強になりました。

とても良い情報をご紹介頂き、ありがとうございました。

こちらこそ有難うございます。剣道も拳の道も、基本的には頂は同じところなんだ、と最近つくづく思います。
端的に申しますと、意識の目覚め、といいますか、宇宙との一体感ともうしますか・・・私は無宗教なんですが、自分を知る、ということは結局人間を知る、そしてそれはつまるところ意識なのだ、と思います。まだ心底それを感じる場面にはないのですが、状況判断からそう思うようになりました。これからもよろしくお願いします。

大変参考になりました。
今私は四段審査に向け稽古中のものです。先生から「打突時の足と体がバラバラで、一拍子になっていない」と指摘を受けています。
全てを一致させようと思ってもダメです。
自分ではやっているつもりでも先生からダメだしです。
ある先生は、まず竹刀を振り上げた状態から打突して一致させることが先だと。ある先生は、踏み込みは小さくてよいから、左足を蹴って、構えから振り上げ、一拍子で打てとおっしゃいます。
左足を蹴ってしまうと、右足が出てしまい、竹刀の振りが遅れてしまいます。
どのように稽古を進めるべきがご教示いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

一拍子の打突については、色々と工夫をして自得されるのが最善だと思いますが、何かをつかむきっかけになればと思い回答を試みて見ます。

一拍子で打つ形の基本を修得されるにあたっては、書き込みに出てくる「ある先生」お二方のアドバイスの両方が的を得ていると思います。

まず、最初のアドバイスは、足と体をどこであわせるかのタイミングをつかむ上で有効な方法です。

どこで合わせるのかと言うと、右足が出るところと腕を振り始めるところをあわせるのではなく、右足が踏み込むところと剣先が打突部位を捉えるところとをあわせます。

更に言うと、打突部位を捉えた剣先が相手の顎まで切り下ろす間に左足がひきつけられてくるイメージになります。

これは、竹刀を振りかぶる動作と振り下ろす動作が二拍子に分かれてしまっているような方に効果的なアドバイスです。

振りかぶって振り下ろすという二段階の動きをしていては、永遠に一拍子の実現は無理です。
そこで、踏み込みと打突が一致するというのがどんな状態なのか、体に感覚として刷り込ませる目的でこの稽古を行います。

振上げた状態から竹刀を振りおろすだけなら初歩の段階でも一拍子を体感できるでしょう。

そして次のアドバイス。

これは、先の段階を理解した上で行うと効果的です。

> 左足を蹴ってしまうと、右足が出てしまい、竹刀の振りが遅れてしまいます。

まずはこの点を肯定してしまいましょう。

左足を蹴ると右足が出ます。この足の動きに腕の動きが遅れることを「竹刀の振りが遅れている」と表現されているとしたら、それで良いのだと思いましょう。

おそらく、足と体がバラバラだという指摘に対して、足が出るのと腕が出るのがズレていると言われたと感じていらっしゃるのではないでしょうか?

そこに落とし穴があります。

逆に、右足の蹴りだしにあわせて腕を振り始めようとすることで、結果的に足と体がバラバラになるのです。

右足は腕より先に出動して良いのです。

右足が踏み込む時に相手の打突部位を剣先が捉えている。
掘り下げていけば色々と深いのですが、まずはあまり難しく考えずに、ここを一致させるように努力されてみてはいかがでしょうか。

考え方をがらりと転換して、右足が半歩ほど前に出る頃まで左拳は構えた位置に収めたままにし、腕の降り始めより先に体を押し出すイメージで取り組まれると良いかと思います。

こうすると腕を振上げる時間的余裕はあまりなくなります。
そこで竹刀の振り方を工夫する必要に迫られるでしょう。
それが狙いです。

結果的には、上半身はかなり器用なので、下半身より速いスピードで動きますから、遅れて振り始めるくらいでちょうど良かったりします。

一拍子で打突するためには肩、腕、肘などの力みを除く必要があります。
この脱力を実現するためには想像以上の時間がかかるかもしれません。

どの程度参考になるか分かりませんが、私にコメントできるのはこの位です。

私は四段審査を乗り越えるのに大変苦労しました。

その過程で、面打ちを徹底的に指導しなおしていただきました。
身の回りに適切なアドバイスを送ってくださる先生方がいらっしゃるようですので、面の基本打ちから取り組みなおすのが近道かもしれません。

がんばって下さい!

> おそらく、足と体がバラバラだという指摘に対して、足が出るのと腕が出> るのがズレていると言われたと感じていらっしゃるのではないでしょうか?
>
> そこに落とし穴があります。

少し補足しますと、右足が出るのが早まると、結果的に足が踏み込んだ後に竹刀が打突するというズレが生じているのだろうと想像しています。

実際は、右足が出て踏み込むまでの間に剣先を打突部位に到達させきれていないと言うことが起きているのではないかと推察されます。

これは、腕の振上げ、振り下ろしという二段階の動作を組み合わせて竹刀を振っている場合にありがちなことです。

つまり、この振り方をしている限り、一拍子の実現は困難なのです。

まずはほんの少し右足を踏み込んでみて、その踏み込みに竹刀の打突の瞬間がくるように竹刀を振ってみて下さい。

右足の踏み込みと打突の瞬間が一致する感覚がつかめれば、後は極力足から先に動かすように工夫するのが良いかと思う次第です。

わかりにくかったら申し訳ないです。

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