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「剣先」について


今回は「剣先」について書かれたものがありましたのでご紹介します。

私が高校生の頃、進学校の剣道部でキャプテンをやっていたのですが、
私がキャプテンを引き継いだ高校2年の頃には、正規の指導者がおりませんでした。

入部した際に、たった5人ほどしかいない剣道部であるのを見て、
「こんなさびしい部活に青春を預けることはできん!!」と奮起し、
学校中をリクルートして回ったおかげで、部員数は20人以上に膨れていました。

自分が誘った手前、いい加減なことはできない・・・
そんな思いで、毎日「どんな稽古にしたらよいか」と研究したのを時々懐かしく思い出します。

当時は「剣道にっぽん」の特集などを参考にすることが多かったのですが、
そんな状況の中、一冊の本が私の支えでした。

それは、昭和49年に旺文社から発刊された(昭和54年第7刷となった)
当時範士八段だった中野八十ニ先生の「剣道」でした。

当時は全く気にもならず、あとから知ったことなのですが、
中野先生は昭和12年から慶応大学普通部の教師をされておられたので、
今思えば、私が慶応に進んだのも何かのご縁かもしれません。
(体育会には入部しませんでしたが・・・)

最近、体育とスポーツ出版社が昭和60年に発刊した
中野先生の「剣道上達の秘訣」という本を読む機会がありましたので、
今回は、その本の中からご紹介します。

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『剣先の働き』

剣先の働きについてですが、構えて剣先を動かさないほうがよいか、
動かしたほうがよいか。またその動かし方は・・・。

これは、動かさないより、動かしたほうが良い。
このことは我々ばかりでなく、千葉周作も言っている。
それは、じっと構えて、どこから来ても応じられるような状態なら別ですが、
そういうことは、なかなかあるものではない。
停止した状態はよくないと沢庵も言っています。
昔の人は、心がそこに固定しないようにということをよく言ったが、
達人になって、じっと構えても心が固定しなければいいが、
どうしても、じっと構えることによって、固定してしまう。
そういう意味では、剣先をせきれいの尾のごとく、上・下に動かす。
とくに下段になる様に動かす。これは確かにいいと思う。

『剣先の活用』

剣先のつけ所は、中段の構えの場合、相手のどこへつけたららいいでしょうか。

刀の場合は、そりがあるから、剣先の延長はずっと高くなる。
そこで竹刀の場合に、刀と同じようにつけようと思えば高くなってしまう。
これがはたしていいかどうか。
私自身は、相手のノドぐらいのところにつけている。
こうすると打たれないし、打つときもちょうどいい。
それを相手の目ぐらいまで上げてしまうと、
よほど応じができるようならば良いが、やはりよくないようだ。
剣先の動きということも、そういう意味で、
ただ動かしていて相手の打ちに応ずるということと、
もう一つ攻めとして動かすという二つの考え方がある。
これを研究してみると、攻めにつながる剣先の働かせ方は、
一刀流にもあるが、まず相手の剣先に触れる。表・裏と軽く触れる。
それから、軽く押さえる。それだけでも相手に対するひとつの攻めになる。
つぎは、ピッ、ピピッとはじく。四つ目は巻くというのがある。
それから相手の剣先を払うというのもある。
直接技として打ちにつながるのは、巻く、払うというものである。
あとは、押さえ、触れ、はじいて様子をみて打つ。これらは直ぐ打ちにはつながらない。
しかし、みんなせきれいの尾のようにやればいいというわけではない。
同じ竹刀を動かすにしても、はっきりした考えを持ってやることが大切である。

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相手との剣先の攻防の際に竹刀をどのように動かせばよいかという問題は
非常に悩ましいですね。

色々な考え方がある中のひとつとして少しでも参考になればと思います。

戸締り用心火の用心、一日一善。
健やかな精神は健やかな肉体に宿ります。さぁ、稽古しましょう!

それでは、また土曜日にいつもの道場でお会いしましょう。


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